使い捨てられた労働者を看取る生き方〜『山谷をめぐる旅』を読んで | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバーフェスタ2024(報告) ・レイバーネットTV ・あるくラジオ(10/10) ・川柳班(投句受付中) ・ブッククラブ(2025/1/11) ・シネクラブ(9/1) ・ねりまの会(10/12) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第98回(2025/1/10) ●〔週刊 本の発見〕第374回(2025/1/16) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2025/1/9) ●川柳「笑い茸」NO.158(2024/10/26) ●フランス発・グローバルニュース第15回(2024/12/24) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第97回(2024/12/30) ●「美術館めぐり」第6回(2024/12/23) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
堀切さとみ
『山谷をめぐる旅』(織田忍著/新評論社) 関東大震災や東京大空襲からの復興の拠点であり、戦後の高度経済成長を支えた<山谷>。江戸時代には刑場もあり、あしたのジョーで有名になった泪橋は、罪人を涙で見送ったことに由来するという。しかし、先だっての東京五輪の頃には、山谷という地名は地図から消されていた。 1980年代、労働者と右翼・金町一家との激しい抗争があった。寄せ場への偏見は強く、社協からも労組からも相手にされず、治安を名目に警察・右翼・機動隊が跋扈していた。
山谷の記録映画を撮っていた二人の監督が殺された時、私は大学生だった。「山谷争議団」という言葉を聞いてはいたものの、初めて山谷に行ったのは、織田が最初の著書『山谷からの回廊』を自費出版した、2012年の夏である。私より10歳若い彼女の筆力に突き動かされたのだった。 <山谷を撮る>というのは難しい。作業服にカメラを忍ばせて、隠し撮りするのが当たり前。そんな時代に、樋口健二に師事した20代の南條は、堂々と山谷に入り込んだ。女を武器にできるどころか、舐められ、脅され、カメラを奪われたことさえある。 「ジャーナリストは人間のクソだ。一般の人より優れていると思ったら大間違い」 そう言って南條は、山谷のボロアパートに住みこんだ。そんな女性は他にいない。 織田は生前の南條を知らない。若き日に結婚し、三人の子をもうけた末に育児ノイローゼになったりと、南條とは違う人生経験を積んでいたが、何かを成し遂げる生き方を渇望していた点で一緒だったのだろう。学歴社会や、世間がよしとするレールから外れていくのは、今より難しかったはず。もがいた先に辿り着いたのが、山谷だった。
『山谷への回廊』から数年後、織田は看護学校を卒業し、山谷の訪問介護ステーション「コスモス」に職を得る。すでに山谷は、闘う労働者の街から、福祉の街へと姿を変えていた。もう、表現するに値しない場所だ。今更ここで何をやるの? そう言う人たちに抵抗するように、織田は寄せ場に入り込んだ。 織田は言う。「山谷は生き直しができる稀有な場所、敗北感こそが役に立つ街なのだ」と。 本名なんて知らなくていい。家族でなくても仲間が「おつかれさん」と言って、花を手向けてくれる。それで十分な人生ではないか。 Created by staff01. Last modified on 2024-12-08 10:50:59 Copyright: Default |