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LNJ Logo 朝鮮人中国人虐殺はなぜ行われたか ―いまも変わらない日本の状況を変えていくために
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投稿者 : 高井弘之

今月の1日、熊本市で行われた『朝鮮人中国人虐殺を記憶する集会 1923−2023』に呼ばれて、下記のタイトルで話をする機会を得た。県内の各団体が結集して長い準備を経て行われたもので、とても盛況で熱気があった。東京などの大都市ではない「地方都市」で、このテーマでの、このような規模の集会が行われたのは珍しいのではないだろうか。
実現の前提には、近代・熊本の朝鮮への加害を問い続ける市民らの長い地道な作業と、歴史教科書問題などをめぐる韓国・忠清南道市民との交流・連帯運動があった。以下は、そのときの話を元に、その一部を文章化してみたものである。

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    朝鮮人中国人虐殺はなぜ行われたか
―いまも変わらない日本の状況を変えていくために―

【朝鮮・中国への侵略・植民地支配過程の中の「1923年 大虐殺」】
 1923年9月の朝鮮人・中国人大虐殺は、大震災・大火災という異常な状況下で、その「点」のような時間の中で、突発的・自然発生的に起こったという性格のものではない。それは、近代日本国家の出発(1868年)以降の朝鮮・中国への侵略・植民地支配の過程のなかで、そのような「〈歴史的現在〉としての1923年」に日本国家・国民によって引き起こされた事件である。
日本は、その侵略過程の中で、すでに、多くの虐殺事件を起こしていた。日本の朝鮮植民地化(朝鮮制圧・植民地化戦争/1894〜1910年)に抗した東学農民や抗日義兵(反植民地化闘争)に対する虐殺・三一独立運動時の虐殺(1919年)、中国への侵略戦争時の「旅順虐殺」(1894年)などである。1923年の虐殺は、それが朝鮮や中国ではなく、帝国本土に場所を移して行われたものと言える。

【帝国本土にいる朝鮮人への「制圧戦争」】
その四年前の1919年、朝鮮では、200万人にも及ぶ人たちが参加する独立運動が全土で起こり、その後も、朝鮮との国境に近い中国の間島・東北地方(満州)やソ連のシベリア沿海州などで武装した朝鮮独立軍による日本軍への闘いが激しく展開されていた。
政府は、震災の混乱に乗じて、そのような闘い(蜂起・「暴動」)が日本「本土」でも起こされるのではないかと危惧―予測し、地震発生直後から、軍隊を出動させ、戒厳令を発し、朝鮮人に対する制圧態勢を取った。そして、警察・自警団と連携して、まさに国家を挙げて、官民一体となって朝鮮人を殺害していったのである。

【つくられた「不逞鮮人」像】
 日本国民が朝鮮人の「放火」「暴動」を事実だと信じた原因・背景には、3・1独立運動以降、新聞などのメディアで作られていった「不逞鮮人」像の存在がある。「不逞鮮人」とは日本の朝鮮支配に従わない人、独立を目指す人たちのことを、日本国家の立場から、無法者・犯罪者のような意味を込めて、当時、使っていたものである。
その「不逞鮮人」らが、日本「本土」でも行動し、暗殺や放火を行った、独立への陰謀を企てたという事実ではない報道―情報が、この時期、国内に氾濫していた。つまり、日本国家・日本人が作り出した実像ではない「朝鮮人像」に基づいて、日本国家・日本人は朝鮮人に対する「姿勢」と「対応」の仕方―処し方を決めたのである。それが、「皆殺し」だった。

【加害側と被害側の逆転現象】
当時、一部の例外を除く大多数の日本人は、なぜ朝鮮人は独立運動を起こしたのか、あるいは、日本の支配は朝鮮の人びとにとって何なのかといったことを、朝鮮人の立場に立って考えることをしなかった。
大多数の日本人は、自らと日本国家・日本人集団を一体化させ、その日本国家の立場から朝鮮を見、朝鮮人に対応することしかしなかった。日本国家は朝鮮人を敵として制圧・殺害しているから、日本国民である自分もそうする。
つまり、自分が属する集団の中に閉じられた形でのみ生きていて、その集団の外にいる人たちへの想像力は全く働かなかった、あるいは、働かせようとしなかった。
各地の自警団は、避難のために移動して来た(見知らぬ)日本人被災者を救護し、食料や飲料水を提供する行動をしていたが、その自警団が(同じ被災者である)朝鮮人に対しては、襲い掛かり、虐殺する行動をしたのである。
朝鮮における日本の暴力支配に対して自由を求めて声を挙げたら日本国家によって残虐に殺戮されたのは朝鮮の人びとであり、彼ら・彼女らは完全な被害者である。
しかし、逆に、日本・日本人こそが「不逞鮮人」らの暴動によって酷い目にあっている被害者であるかのように自らを位置づける逆転した倒錯した状況が、当時の日本社会には存在していた。これは、自分の属する集団が相手に何をしているかは全く問わないことによって成立している状況―現象である。

【「不逞鮮人像」に共通する現在の「朝鮮・韓国・中国像」】
 これは、いま日本社会で流布している朝鮮(「北朝鮮」)像・韓国像・中国像の内容と、それが成立している「からくり」に、とてもよく似ていると思う。
たとえば、数年前の、日本による「強制徴用」被害者に対する韓国大法院判決をめぐる状況。政府・メディア・日本社会は、この問題ー「判決」の大元にある日本の残虐な加害行為については全く問わないまま、自らを、理不尽な言いがかりを受けている被害者に位置づけて、「判決」や韓国政府の対応を責め続けた。
 日米の方が、朝鮮・中国に対する軍事包囲網を構築しながら、そうされている朝鮮・中国の方を、政府・メディアは、かつての「不逞鮮人」同様、「日本に対する脅威・危険な存在」として描き出し、そうレッテルを貼る。そして、「何をするかわからない無法の悪の国」として批判・攻撃し、多くの国民がそれに同調している。さらに、やはり、加害側と被害側が逆転してしまっている、現在の核汚染水放出をめぐる日本社会の状況。
これらの状況・現象は、100年前と違うだろうか。「関東大震災時の朝鮮人・中国人大虐殺 100年」を前にして、私たちは、このように問い、深い反省的総括をしなければならないと思う。そして、東アジアの人びと・国ぐにと共に平和に生きていける方へと、日本国家・日本人集団の、その根本からの変革を目指さなければならないと思う。

Created by staff01. Last modified on 2023-09-21 18:58:36 Copyright: Default

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