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毎木曜掲載・第254回(2022/5/19)

憤りを込めて振り返る〈アメリカ世〉、そして〈大和世〉

『ドキュメント〈アメリカ世〉の沖縄』(宮城修、岩波新書、2022年3月、980円) 評者:志真秀弘

 沖縄が本土復帰50年を迎えた5月15日。『琉球新報』1面の見出しは「変わらぬ基地 続く苦悩」。最終面には50年前(1972年5月15日)の同紙1面が再録され、見出しはやはり「変わらぬ基地 続く苦悩」。〈アメリカ世〉から〈大和世〉(やまとゆー)に変わって50年、今も基地は沖縄に偏在する。それどころか辺野古で新基地建設が進み、自衛隊ミサイル基地が南西諸島に配置されつつある。沖縄民衆の深い憤りが、変わらぬ二つの見出しに込められた。

 本書は、講和条約発効から本土復帰まで約30年の沖縄の記録である。もとになったのは『琉球新報』連載の「戦後沖縄新聞」。この企画のきっかけは2016年5月に北部の雑木林で女性の遺体が見つかった事件にあった。犯人はもと米海兵隊員。「基地ある限り、犠牲者が今後も出る。社説はそう書いた。取材にあたった若い記者が、当時社会部長だった著者に「私たちは沖縄の戦後史を知らなすぎる」と大型連載を提案した。ジャーナリストとしての誠実な姿勢と謙虚な人間性。沖縄のジャーナリストには抵抗の精神が生きている。

 1947年9月、昭和天皇は沖縄の恒久的統治を米側に提案した(「天皇メッセージ『昭和天皇実録』)。この考えは51年の対日講和条約をめぐる特使ダレスと首相吉田茂の会談で示された吉田「私見」(沖縄の「長期租借」案)につながる。45年2月、早期に「終結を探るべきと天皇に進言した近衛文麿に対し、天皇は「戦果を上げてから」と応え、可能性は閉ざされた。同年6月牛島満司令官自決の日、最高戦争指導会議で天皇は、本土決戦方針は既定とし、戦争終結についても動くよう説く。近衛ら側近は「最下限沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とすること」を交渉の要綱と決めた。天皇とその側近は、沖縄を結局三回「切り捨て」た。いま「沖縄に基地が集中する源流に沖縄戦と戦後の天皇及び吉田の提案がある」と著者は指摘する。

 沖縄の民衆は、しかし、はじまった理不尽な〈アメリカ世〉をあたう限り闘い抜く。占領初期、米軍政府は沖縄住民を十二の収容所に集めた。その一つ田井等地区(現名護市)のそれは特に食糧事情が悪く、瀬長亀次郎たちは、食糧担当のショーランド中尉にかけ合う。するとピストルを振りかざしながら中尉はいう。「一体、戦争に負けたのは誰れ(ママ)なのだ。生きておればそれでいいではないか」(『平良辰雄回顧録』(1963年、南窓社、平良辰雄は社会大衆党初代委員長)。

 講和条約発効(1952年4月28日)後、米軍による軍用地取得が強行され、伊江島はじめ各地で「島ぐるみ闘争」が起きる。本書本編はここから始まる。読み通して、戦後沖縄のたたかいは常に大衆的であり、非暴力を貫いていることが痛感される。ぜがひでも読まれてほしい。日米同盟の矛盾をすべて沖縄にしわ寄せする「構造的沖縄差別」(新崎盛輝)。その上にわたし(たち)はあぐらをかいて暮らしていはしないか。わたし(たち)のありようが問われている。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。


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