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毎木曜掲載・第244回(2022/2/24)

今、部落差別から社会を問う

『被差別部落認識の歴史 異化と同化の間』(黒川みどり著、岩波現代文庫、\1620+税)評者:志水博子

 「被差別部落」もしくは「部落差別」について、この国で暮らす人はどれほどのことを知っているのだろうか。そして、それはどのように認識されているのだろうか。年代や地域によって大きく違うかもしれない。そもそも「言葉は聞いたことはあるが、どういうことかよくわからない」という人が大勢いるのではないだろうか。そして、そのことこそが、「被差別部落」の問題を、今も昔も最もよく言い当てているのかもしれない。つまり聞いたことはあるがよくわからない、そのままに差別はなくなることはない、それが現在の日本の状況ではないだろうか。

 今回、本書を読むことになったのには、あるきっかけがあった。
 昨年9月に実施された大阪府中学生統一テストである「チャレンジテスト」国語の問題に“差別的な内容の問題”があったと、終わってすぐに情報が入ってきた。差別的?ジェンダーの問題だろうか、とにかく問題を見ないことにはわからないと思ったが、数日後手に入った問題を一読して驚いた。古文の問題文であったが、明らかに部落差別に通じる。なぜこのような問題が出題されたのか、あり得ないことのように思えた。現在、大阪府教育委員会HPに問題とともに次のような注意書きが記載され資料が示されている。「※第3学年国語の大問5を取り扱う際には、生徒が差別意識を持つことのないよう、あわせての指導が必要です。府作成の指導資料を参考に、生徒への指導をお願いします」。多方面からの非難と抗議の結果だろうが、なんとも“他人事”風である。言いたいことは山ほどあるが、行政の責任については、ここでは触れない。

 かつて府立高校で同和教育(人権教育)にかかわった私にとって、大阪府内の全公立中学3年生が受けるテストに、そのような問題が出されたことは、とてもショックだった。その反面、昨今の社会状況から考えると、これがたんに一過性の問題として偶発的に起こったこととも思えなかった。部落差別に関する本を読みたいと思った。そんな時、本書を「レイシズムを考えるうえでの基本書」、「部落差別って、何の根拠もない、根拠がないゆえに日本式の統治システムにピッタリとはまってきた、という指摘はまさにその通りだと思った」と紹介されていたのをたまたま見て、本書を読もうと即決した。

 本書は、題名にあるように、被差別部落の「認識」の歴史をたどっている。民衆が、また政府・為政者が部落差別をどのように認識してきたか、その歴史が書かれている。時代は、近代つまり解放令が出され制度上部落差別はなくなった明治のはじめから現代までである。部落史によくあるのは権力vs民衆という図式だが、本書では「異化」と「同化」という二つの概念を基軸にして歴史が語られる。

 「異化」は、たんに“わたしたちとは違う”という差別や排除の意味合いだけを指すのではない。水平社宣言に見られるように、「部落民」としての独自性を自らが主張する意味合いもある。同じように「同化」も、近代日本が朝鮮民族の文化を奪った同化政策と同じように、為政者側が平等抜きで権力的に「部落民」としての自覚や独自性を抹殺していく統合・包摂の意味合いもあれば、そうではなく運動側が目指した権利の保障の上に成り立つ自発的な「同化」もある。異化と同化は対立する概念ではない。異化も同化もどちらがよいとか、どちらが問題であるという観点からではなく、国家の政策において、また民衆の意識としてそれらの基軸がどのように変化し合い、絡み合ってきたかを通して、部落差別がどのように時代の中で「認識」されてきたかが明らかになる。

 今、「部落民」という言葉を使ったが、この言葉ひとつを取っても、著者がいうように、その概念は甚だあいまいである。著者は「『部落民』とは他者から注がれる視線によって『つくられた』という側面が大きいゆえに『部落民』としての確固たる指標は存在していない」という。また、本書ではないが、同じ著者による『創られた「人種」 部落差別と人種主義(レイシズム)』の解説にはこうあった、「国連人権理事会をはじめとする世界的な人種主義をめぐる議論においては、日本の部落問題は当然のごとくそのなかに位置づけられている。にもかかわらず、日本国内でまだその認識が薄い。しかし明治以後、部落問題は「人種が違う」といった「人種」のアナロジーとして常に語られてきた。そして、こういった語りは、まぎれもなく近代が創り出したものであり、部落問題はたんなる封建遺制ではなく、近現代社会が存続させてきたものである」と。すなわち部落差別とは紛れもない人種差別であるというわけだ。なるほど、これは今まで私が持ち得なかった視点だ。

 本書は決して天皇制をテーマにして書かれた論考ではない。にもかかわらず、部落差別の認識に絶えず見え隠れする天皇制の様相は、改めて近代日本の強固ともいえる天皇制について考えさせられた。しかし、本書から最も強く感じたことは民衆の怖さであった。国家権力が垂直の権力抑圧機構であるとすれば、水平の権力として、民衆が民衆を抑圧する怖さがよくわかった。そして、それは、なお今も続いているのではないだろうか。近代とは何か、そしてそれに連なる現代社会を問うとき、部落差別の問題から見えてくるものは大きい。

・2021年度チャレンジテスト国語問題
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/24765/00410022/R3_3_mondai_Japanese.pdf
・指導資料
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/24765/00410022/sidousiryou.pdf

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。


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