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投稿者:吉原真次

●平和の礎読み上げが終わって

 沖縄県摩文仁の平和記念公園に建立された平和の礎に刻まれた24 1632名の戦没者の氏名を読み上げる集いが6月23日の午前に終わった。私は読み上げが始まった6月12日を除いては23日まで時にふれてユーチューブの同時配信を見た。15日には500名、1002名の戦没者の氏名を2回にわたり読み上げた。読み上げが終って思うところが幾つかあった。

 まず読み上げ前の準備と練習、そして読み上げをする中で名簿の文字が人間のように思えてならなかった。24万1632名の一人ひとりには家族や友人、職場の同僚、もしかしたら恋人もいたかもしれない。インパール作戦に従軍しビルマのチンドウィン州ジンガラインで戦病死させられた私の伯父さんの様に酒も煙草もやらず弟や妹思いで実家に帰る時には御菓子をお土産に持ってきた人もたくさんいたに違いない。戦争が終ったら恋人と所帯を持つと約束した人も、家で待つ妻子のことを心配していた人もいたに違いない。そう思うと練習と本番の読み上げ中に自然と涙がこみ上げてきた。27年前にこの世を去った母は子供の頃に「人が1人死ぬと少なくとも10人の人が泣くよ」と言って命の尊さを教えてくれたが、240万人以上の家族や友人そして親戚が戦没者を思って泣いたと思うとキーボードを打ちながら自然と涙がこみ上げてくる。

 そして15年戦争、アジア太平洋戦争では敵味方に関係なく平和の礎に刻まれた数百倍の人々が殺され、その十倍の親類縁者が泣いたに違いない。そのことを決して忘れまい❕

 つぎに読み上げられた人たちの中には戦争指導者の名前どころかそれにつながる者たちの名前も見当たらなかった。アジア太平洋戦争で屍の山を積み上げた戦争指導者の一人東条英機は陸軍大臣時代に作った戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」と謳い、兵士と民間人の玉砕と自決の要因を作りながら終戦時の陸軍大臣阿南や特攻の父と呼ばれた大西の様に自決しなかった。それどころか東条は1945年9月11日連合軍に逮捕拘束される際には隣家の医師に頼んで心臓の位置を教えてもらい服の心臓部に印をつけて拳銃自殺を試みたにもかかわらず未遂に終わっている。逮捕に来た連合軍兵士から嘲笑を浴びせられただろう。

 続いて戦前に満蒙開拓を推し進め、敗戦後には団員たちの屍の山を築いた安倍晋三元首相が尊敬する義祖父岸信介は1959年の首相時代に残留孤児の「死亡宣言」を出して孤児を戸籍から抹消した。さらに「最後は自分が行く」と言って次々と特攻兵を送り出した陸海軍の司令官たちの中で特攻したのは宇垣纒しかいない。そして東京裁判の被告たちは法廷で戦争を起こすつもりはなかったと弁明したという。自分や自分の親戚縁者の命はしっかりと確保する一方で他人を死に追いやり、何の良心の呵責も感じないどころか「鬼畜」と罵った者にさえ命乞いをする。これが戦争指導者の本性であることを忘れてはならない。

 最後に戦争は天災ではなく人災である。だから人間の力で起きないようにすること、起きたとしても止めることが必ずできる。しかし自分と親戚縁者の事しか考えない戦争指導者たちは破局的局面に陥っても戦争を止めることができず、その間にかけがえのない命とその命が作りえたであろう未来が失われていく。逮捕拘留の前に服毒自殺した近衛文麿は1945年2月に大元帥である天皇裕仁に早期講和を上奏したが裕仁は聞き入れなかった。その結果3月の東京大空襲、4月の沖縄戦そして8月の広島・長崎の原爆投下が行われた。そのことも決して忘れてはならない❕(6月24日)

●岸田訪欧に思う

 岸田文夫首相は6月25日深夜に出国、ドイツで26日から28日まで開かれる先進7カ国首脳会議(G7サミット)に参加した後に29日にスペインで開かれるNATO(北大西洋条約機構)首脳会議初日の討議に参加し30日午前に帰国する。国政選挙中の首相の外遊は2010年の参議院選の際に菅直人元首相がG7サミットに参加して以来、さらにNATO首脳会議参加は初めてで極めて異例と言える。

 今回の訪欧の目的は、大勢の報道陣を引き連れた外遊を繰り返すことで存在感の維持に努めた安倍元首相のやり方と同じで2012年から17年まで外務大臣を務めた自分の存在感を示し参院選を有利にするためだ。しかしNATO首脳会議出席で今後の日本がロシアと中国から更なる警戒心と敵意を受けることになることを考えると恐ろしくなる。

 確かに日本はロシアと直接戦闘をしていない。だが日本は実戦で兵士が着る防弾チョッキと偵察どころか攻撃にも使われかねないドローン(無人機)をウクライナに供与し、ウクライナへの経済支援を約束する一方でロシアに対しては経済制裁=経済を武器にした戦争を行っている。ロシアにとり日本は敵国の兵站を担い、自国民の生活を破壊しても経済面で戦争を仕掛けている国だ。そして今回は加盟国でもない軍事組織のNATO会議に参加し敵国の立場を鮮明にしようとしている。

 5月24日にロシア・中国両軍の爆撃機が13時間にわたり日本海、東シナ海、西太平洋上空を共同飛行した。これは米、日、インド、オーストラリア4ヵ国首脳会議でインド太平洋地域のインフラ(社会的基盤)整備に6兆3800億円の支援や投資を実施するとした表明、そして台湾への関与を口にしたバイデン米大統領に対する両国からの警告だ。共同声明は中国の一帯一路に対抗するもの、米の台湾関与は「一つの中国」を脅かす内政干渉に他ならず中国は絶対に許さないだろう。

 もう一つ台湾が1894年の日清戦争で日本の領土となったことも考慮に入れるべきと思う。今後日本の防衛費がGDPの2%になれば日本は世界三位の軍事大国になるが、ドイツと違って日本は過去の中国侵略とアジア・太平洋戦争を反省していない。こんな国を中国が信頼するはずはないし、警戒感を一層強めることは必至だろう。

 御存知の方もおれると思うが、2015年に米国防総省に直結するシンクタンク(頭脳集団)が出した報告書「米中軍事スコアカード」は17年には台湾海峡危機の場合、中国の対米空軍基地の攻撃能力や対地攻撃能力がやや優勢になり、南シナ海紛争の場合は拮抗するとしている。5年経った今は逆転しているに違いない。そしていくら迎撃システムを整備してもミサイルを完全に防ぐことはできず、もし戦争が起きた場合に嘉手納基地がある沖縄と南西諸島、横田基地のある東京が火の海になることは容易に想像できる。

 どうやら岸田首相が長い外相経験の中で対米従属しか学んでこなかったようだ。ロシアのウクライナ侵攻はロシが絶対に悪いのは当たり前だが、それだけに囚われていては他のことが目に入らなくなる。        (6月25日)

●黒井秋夫さんにお会いして

 6月12日、私は東京都武蔵村山市にある「PTSDの日本兵と家族の交流館(資料館)」を訪れ館長である黒井秋夫さんのお話を聞き、その後は8月7日の午後1時から武蔵村山市民会館小ホールで開催される「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会(証言集会)」の第一回実行委員会に参加した。

 過酷な戦場体験によりPTSD(心的外傷後ストレス障害)となった復員兵の無気力、自殺、暴力、殺人さらにアルコールやギャンブルそして薬物への依存症は、ヴェトナム戦争以来戦争を繰り返すアメリカの深刻な社会問題となり、復員兵の20〜50%が症状の程度は違ってもPTSDになることが報告されている。

 これを1945年時点での復員兵に当てはめると200〜400万人がPTSDになったこととなるが、戦前、戦中の軍が当時は戦争神経症と呼ばれたPTSDを否定し、敗戦時には患者のカルテの焼却を命じ事実の隠滅を図り、戦後になると国や旧陸海軍を引き継いだ自衛隊が調査と治療、ケアを行わなかったために闇に葬り去られ続けてきた。重症のPTSDの兵士の治療に当たった陸軍国府台陸軍病院の医師たちの努力によりカルテは保存され8002名の兵士の診療記録が残っているが、戦後の復興と経済成長の陰に隠れてPTSDの兵士の存在は長い間日の目を見ることはなかった。

 黒井さんのお父さんもその一人、中国での過酷な匪賊(ゲリラ)討伐そして空襲によりPTSDとなった慶次郎さんは復員後に無気力、無表情となって仕事は長続きせず家族は貧しい生活を余儀なくされた。黒井さんはそんな父を軽蔑し続けたという。

 黒井さんが変わったのはヴェトナム戦争でPTSDになり、家族との信頼関係を築けなかった元海兵隊兵士の話を聞いたことがきっかけ。同じ話を聞いた人に父親について聞いたところ普段はおとなしいのに酔うと家族に暴力をふるったり、泣き叫んだりする話を聞いて父だけの問題ではないことが分かり、黒井さんは実家からアルバムをはじめとする戦時中の記録を取り寄せて父の無気力がPTSDであることを理解した。

 さらに、黒井さんは御家族の了解を得て2018年に「PTSDの復員兵と暮らした家族が語り合う会」を結成して100人近い家族からの記録や証言を集め、20年には自宅の前の花壇をつぶして六畳ほどの交流館を建てた。交流館には黒井さんの父の記録の他にこれまで集めた記録や軍服、銃弾などの戦争遺品が展示され、来館者は直に資料を読み遺品を手に取ることができる。また資料館は地域の茶飲み処、子ども図書館ともなっており地域住民の交流の役目もはたしている。開館日は水木金度の週4日、開館時間は午前10時から午後5時まで、最寄りの駅からバスで40分ほどかかるが御来館をお勧めする。

 黒井さんは各地での講演の他に1000部の会報を作り武蔵村山の市長や市議会、マスコミに配るだけでなく周辺600戸にも戸別配布している。そのお陰で一度道に迷ったが近所の人に聞いてたどり着くことができた。

 こうした地道な活動の結果、2020年と翌年にはNHKで黒井さんたちを題材とした番組が放映されるなど長い間明らかにされなかったPTSDの兵士と家族の存在が脚光を浴びつつある。

 証言集会はこれまでの戦後史を変える一つの転換点となる可能性を秘めていると思う。なお証言集会では黒井さんを含めた4人の証言の他に『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の真実』の著者、そして東京大空襲・戦争資料センター館長の吉田裕さんの講演がある。

 平和の尊さと戦争の悲惨さを学びたいと思う方に証言集会への御参加をお勧めする。なおコロナ禍もあって参加は事前の予約制となっていることをお断りする。私は新潟の片田舎から上京し集会前の御手伝いをさせてもらってから証言と講演を聞くことしよう。(6月26日)                          


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