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投稿者 : 吉野真次

●平和の礎 読み上げに参加して

 平和の礎読み上げの集いに参加し、6月15日の午前6時30分から7時まで、同日午後9時から10時まで、それぞれ平和の礎(いしじ)に刻まれた沖縄戦における新潟県出身の戦没者500名の氏名、1002名の沖縄県の戦没者の氏名を読み上げた。

 平和の礎読み上げの集いを知ったのは東京で御付き合いのあった方からのメール。戦争体験者や遺族が高齢化する中で新たな形で犠牲者を偲び戦争の記憶や慰霊の場を引き継ぐために県民等で作る実行委員会が初めて企画したと知り参加を申し込んだ。後で知ったが、同じ趣旨で一昨年には約6万人のシベリア抑留の犠牲者の氏名、昨年には1945年3月の東京大空襲で亡くなった10万人の犠牲者の氏名を読み上げる集いが始まっている。

 戦後50年の記念事業として建立された平和の礎に刻まれた24万1632人は、沖縄戦で亡くなった県外出身の日本軍兵士、沖縄戦で亡くなられた民間人と軍人・軍属(朝鮮・台湾出身者も含む)、さらに1932年の満州事変以降に戦争が原因で亡くなった沖縄出身者、そして敵側の米軍・英軍の戦没兵士も含まれている。集いの事前説明会で故太田昌秀知事時代の平和の礎の建設に尽力された石原昌家さん、高山朝光さんのお話を聞いたが、石原さんは戦場の光景を再現することが平和の礎建立の目的であり、その為に殺した側の氏名をも刻んだこと、高山さんは「人に殴られても寝られるが、人を殴ったら寝られない」という沖縄の格言を時にふれて大田知事が口にしていたことを話した。沖縄の戦場に屍をさらした人々を敵味方の区別なく礎に刻んだ理由はそこにある。

 敵味方の関係なく戦没者と戦傷者、復員後にPTSD(精神的外傷)を負った元兵士は全て戦争の犠牲者である。オランダ軍の抑留を経て復員した父は三人の子供に戦争の話を語らずに世を去ったがおそらく語ったら過去の悲惨な体験がよみがえって平然としていられないと分かってからだろう。語らないのでなく語れなかったからだ。

 読み上げに際しては送られてきた名簿の姓の方はフリガナがあるが、名前の方はフリガナが正しくなかったのがあったのでまず名簿にしっかり目を通して訂正し、読み上げの練習をした後は訂正に誤りがないか再確認して本番に臨んだ。練習をする度に文字でなく人に思えてきて親御さんはどんな思いでこの方に名前を付けたのだろう、戦争で殺されなかったらどんな人生を歩んだのだろう、残された家族や戦友はどんな思いで戦後の時代を送ったのだろうと思いが次々と湧き出てきた。

 大田知事の生日、そして命日でもある6月12日に米軍が上陸した読谷の会場から始まった集いは沖縄戦での日本軍の組織的抵抗が終わった23日午前に平和祈念公園に設けられた会場で終わる。それまで午前5時から翌日の午前3時まで海外を含む1500人が参加して読み上げが行われる。できる限りユーチューブの同時放映を見ることにしよう。(6月17日)

●名簿を読み返して

 名前は本人だけでなくそれに込められた親の思いも示していると思う。よほどの事がない限り自分の子供の幸せを願わない親はおらず、大人になったらこんな人になって欲しいと思って親は子供の名前を決める。だから読み上げの前には幾度も新潟県出身兵士の戦没者名簿沖縄県の戦没者名簿を読み、声にして正しい名前になるよう努めることを心がけた。

 平和の礎読み上げ実行委員会から二つの名簿を読み比べて最初に気付いた事は戦没者に対する思いの差だ。ユーチューブの同時配信をご覧に方は画面に映った沖縄県の名簿と他府県の名簿の違いに驚かれたのではないだろうか。沖縄県の名簿には市町村と字、それに戦没時の年齢だけでなく死んだ場所さらに生年月日と死亡年月日が記されていたが、新潟県の方は県名と姓名の他は記されていなかった。 そのため沖縄県の場合は亡くなった場所や年齢から正しいと思える名前を推定することができたが新潟県の場合は無難だと思える名前しか推定できず、戦没者だけでなく親御さんの願いまでも冒涜した気がして心が痛む。

 この違いは名簿の作成者の違いによるもので新潟県は軍籍簿を元に行政が作った者であるのに対し、同じ行政の手による物でも沖縄県の名簿は住民に対する徹底的な聞き取り調査に基づくものであるからだ。また沖縄県の名簿には当時南洋と呼ばれたフィリピンや第一次世界大戦の勝利の結果ドイツから奪ったサイパン等の旧植民の戦没者も含まれており、その誠実さを垣間見たような気がしてならない。

 御存知の方もあろうかと思うが戦前の沖縄県は移民県とも言われ、1945年の沖縄県の海外移住者数は57283名で県人口の約10%に相当し、同年の全国平均約1%と比べればいかに多いいかわかる。そして生き残った移民たちは敗戦後全ての財産を奪われ強制的に沖縄に還され、焦土となった米軍統治下の沖縄で一から生活を再建せざるを得なかった。その苦労は言語に絶するものだったろう。

 平和の礎読み上げに参加して戦争から学ぶのではなく、ほんの少しだが戦争を学んだ気がする。読み上げの集いは23日午前で終わるが一人でも多くの方に見ていただきたい。(6月19日)             


Created by staff01. Last modified on 2022-06-18 21:09:21 Copyright: Default

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