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見応えがあった福島映像祭の『まぼろしのひかり』『汐凪の花園』〜SBC信越放送が制作

堀切さとみ

 福島映像祭でSBC信越放送が制作した二つの作品を観た。
『まぼろしのひかり』と『汐凪の花園』、どちらも見応えがあった。

 信州の放送局がなぜ福島を追ったのか。その理由は、ディレクターの手塚孝典さん(写真)が20年間、満蒙開拓団を取材してきたことによる。長野には開拓団出身者が多いが、福島にも多い。というより、満州から引き揚げたものの故郷に住処はなく、新天地を求めて福島に入植したのだ。

 その一人が『まぼろしのひかり』に出てくる岩間さん、95歳。長野県飯田市に生まれ、11歳で満州へ入植。開拓団を送り出した村に、国は交付金を出したという。そして敗戦後、飯田に帰ることはできず、福島県葛尾村へ。開墾に明け暮れたこの土地こそが故郷で、長野に帰りたいと思ったことはないと言う。

 その葛尾村が原発事故で全村避難となった。牛飼いだった岩間さんは、避難を余儀なくされ、牛の殺処分に応じざるを得なかった。「いやあ、みじめだぞ。自分で育てた者でなければ、この悲しさはわからんよ」

 国策によって二度、故郷を追われた岩間さんを軸に、この作品には何人かの男性が登場する。原発は男が作り出していったものだということを象徴するかのように。

 富岡町で長く職員をしていた男性は、一度原発を受け入れてしまった町では、何が起きようと原発から逃れることはできないと語る。1980年代、福島第一原発の副所長だった増田さんは、どうやって、原発の増設を住民に受け入れさせたのかを明かす。今も線量が高い浪江町赤宇木は、事故の後「100年は帰れない」と言われ、帰還を諦めた住民は多いが、「帰りたい」という強い意志を持つ人もいる。

 ボロボロになった町に、戻ることはできないよと言うのは外側にいる人間の言うことだと、この映像をみて思った。

 もうひとつ『汐凪の花園』(写真)は、津波で父と妻、次女の汐凪さんを亡くした、大熊町の木村紀夫さんのドキュメンタリーだ。木村さんはたくさんの映像に出てくる人で、この映像は事故から8年後の木村さんと、長女の成長を記録している。

 三人の家族は、自宅の近くで発見された。助けられたかもしれないのに、3・11の翌日には3キロ圏内に避難命令が出て、探しに行くことが出来なかった。だから木村さんは、東電を許すことができない。

 今、自宅には芝生を植え、『汐凪の花園』と看板をたてた菜の花畑が広がる。その目と鼻の先に、中間貯蔵施設が広がっている。大熊町で中間貯蔵施設に土地を売っていないのは、木村さんただ一人だ。「周りは協力してるのに、なんでお前だけ」と言われる。「津波で子どもを失ったから特別扱いか」とも。

 それでも、拒否を貫くのは、絶対に忘れたくないからだ。「絶対安全」を信じていた自分の不甲斐なさ、それによって三人の命が奪われたことを。

 大熊町の自宅の傍を、イノシシがウロウロしている。木村さんは言う。「猪は当たり前にここで命をまっとうするじゃないですか。人間は都合よく逃げる。自分らで蒔いた種なのにね」

 二つの映像を観ながら、双葉町の鵜沼久江さんと何度も重なった。開拓精神がある人は強い。自分の中に、ほんの少しでも、その力を培いたいものだ。


Created by staff01. Last modified on 2022-09-23 07:31:44 Copyright: Default

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