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毎木曜掲載・第191回(2021/2/11)

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

正義とは何か。本書は1995年から2014年の20年に及ぶ「戦後補償裁判」の記録である。この裁判で原告となった中国人戦争被害者は全体の被害者数からしたら実に僅かな数字だ。だから、私たち日本人は彼ら原告の背後に数千万の中国人戦争被害者がいることを肝に銘じて、原告たちのあまりに理不尽な被害を、本書を通じ知ってほしいと願っている。そしてこの日本という国の正義とはいったい何なのか考える機会になればと思った。

私は1989年に新宿区戸山で発見された人骨問題がきっかけで、戦後補償問題に首を突っ込むことになった。この本を読んで当時のことを思い出すとともに、知らなかった弁護団の苦労や裏話を知ることになった。

戦後補償裁判の弁護団の中心となる小野寺利孝弁護士が、94年に北京を訪れた際、ある記者から聞かされたのは、「中国人戦争被害者の訴えをきちんと受け止めない日本への危惧」だった。「日本側がこの問題に正面から向き合わず、人々の心に届く真の謝罪や補償がなされないままでは、中国の民衆の中に対日不信の巨大なマグマが蓄積されていくばかりだ」。小野寺弁護士はそれを日本の弁護士への批判と受け取った。もし戦争被害の問題に直接向き合うなら、被害者に直接会い、その要求を受け止める必要があると考えた。しかし、当時は今のように自由に中国に行くことができず、被害者に直接会うことは難しかったと思う。

そして会うことはできても、互いに意思疎通ができるかは大きな問題であったはずだ。全ての中国人戦争被害者は日本人をひどく憎んでいるだろう。案の定、被害者たちは訪ねてくる日本の弁護士を信用しなかった。そんな彼らを原告として裁判をするために、弁護士たちはどんな思いをして彼らと向き合っていたのだろうか。裁判にこぎつけるまでに、弁護団が払った努力と時間と費用は途方もないものだろう。しかし、被害者たちの心の奥から絞り出される事実の重さと、次第に弁護士に対して心を開いていく原告たちとの交流の対価としては、惜しむものではなかっただろう。ただただ正義のために弁護士たちは寸暇を惜しんで、中国へと飛んで行った。「事実を認めて、謝罪してほしい」。ある弁護士が常日頃、国に対して口にしていたことだ。

15年に及ぶ侵略の間に、犯した日本の加害の残虐性は筆舌に尽くしがたい。裁判で証言台に立つ原告の話す内容は、人々の心を抉るものだった。(写真右=平頂山事件資料館)

本書冒頭の平頂山事件は、本多勝一氏が「中国の旅」でも書いているが、1932年9月に起きた日本軍による三千人にも及ぶ住民虐殺である。写真を撮ると騙して住民を崖の下に集めて機銃掃射して殺した。証拠を隠滅するために崖を爆破し、それが発掘されたのは1970年のことだった。今では記念館としてその跡を留める。累々と続く遺骨の中に、苦痛に歪む表情を残した人骨、子供を庇った親子の骨に、今なお心が痛む。

李秀英さんは南京事件の時に、強姦されそうになって拒絶したために日本兵から銃剣で全身29か所も刺された。彼女は妊娠中で子供は流産した。その時のことはアメリカ人牧師ジョン・マギーによって映像が残っている。

南京で彼女に会ったとき、李さんは古い人民服を着て、虐殺記念館のベンチに丸くなって座っていた。いつも彼女はとても悲しい表情をしていた。その理由を私は裁判の証言で知った。失った子は戻らない。いつも他の子供を見るたびに自分の子を想い、子供が死んだために自分が生き残ったと彼女は言った。

敬蘭芝さんという女性は、鉄道で働く夫が憲兵隊に捕まり、拷問を受けた後731部隊に送られた。彼女自身も酷い拷問を受け、壮絶な過去を清算できずに戦後を生きていた。彼女のもとに日本人が訪れたのは被害から50年が経とうとしていた時だった。戦後補償運動の道を開いた一人、今は亡き渡辺登さんが敬さんを訪ねた時、「日本人とは会いたくない」と頑なに拒絶をした。その後、弁護士も何度も彼女を訪ね、いつしか心が打ち解けていく。交流が生まれ、互いに信頼し合うようになった。敬さんは731裁判の原告となって東京地裁の証言台に立ち、彼女の訴えに国側弁護人が涙を流した。

中国人慰安婦裁判もまた、その証言は衝撃的だった。被害者の女性たちはみな、ある日突然日本軍がやって来て拉致され、監禁され毎日強姦されたのだ。被害者の一人李秀梅さんは証言の途中、大声で泣き出してしまった。日本兵士から性的被害にあった女性の数は未知数だ。多くは犯され殺され、道端に捨てられた。生き残ったとしても彼女たちはPTSDを抱え、その障害は、家族にも精神的な負担を与えている。

さて、これら悪魔の所業ともいえる加害について、日本の裁判所がどう判決を下したかと言えば、本書を読んでいただきたいが、多くは「国家無答責」で棄却されている。これは戦前の憲法で天皇の国家は何をしても許されるというもの。この国に正義はあるのだろうか。

しかし、この国が正義を果たさなかったとしても、この20年にわたる戦後補償裁判が残したものは、決して小さいものではなかった。それは事実を明らかにし、広めることができたこと。日中友好が後押しされたこと。市民運動に多くの人が参加したことなどだ。

実は、遺棄毒ガス弾事件だけは戦時中のことではなく、「現在進行形の問題」である。日本軍が遺棄した毒ガス弾によって健康被害を受けた被害者の中には、多くの子供たちがいた。裁判は一審は勝ったものの、高裁、最高裁と棄却された。しかし裁判が終わった今でも、市民団体「遺棄毒ガス中国人被害者を支援する会」が支援を継続している。また、弁護団と全日本民医連が共に中国での被害者の検診活動を行う、非営利法人「化学兵器被害者支援日中未来平和基金」は、昨年3月に東京都によって「認定NPO」となった。

正義とは何か。裁判という法律論で負けたとしても、私たちには普遍的な正義を行使する力はある。戦後補償裁判によって培われた日中友好の絆は、損なわれることのないように次世代につなげていきたい。それには真実を語り継ぐことだ。語り継いで、つながって、二度と再び戦争をしないと誓うことだ。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子・志水博子、ほかです。


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