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植民地支配をテーマに幅広く活躍〜画家・富山妙子さん亡くなる

      志真斗美恵

 画家・富山妙子さんが8月18日、東京の自宅で老衰のため亡くなられました。1921年神戸生まれ、99歳でした。

 彼女は、11歳の時に父親の仕事で満洲ハルビンへ渡り、30年代末に日本に進学のため帰国、女子美術専門学校に入学したものの「真面目な生徒を扇動する」と退学処分になります。敗戦後、シングルマザーとして、画家として、社会問題に取り組み、まず、北海道・九州の炭鉱の生活を描きます。61年には、移住する元炭鉱労働者に共にブラジルへ、旅は、チリ、メキシコ、キューバへと進みました。富山さんは「もう一つの9・11」としてチリ・ピノチェットによる軍事クーデター(1973)も描いています。

 日本の植民地支配の実情を知っている富山さんは、詩人・金芝河の死刑反対運動から、光州事件、「慰安婦」問題へと進んでいきます。石版画「光州のピエタ」は、韓国で広く知られていました。

 「蛭子と傀儡子」シリーズは、海底を舞台にした壮大な歴史絵巻で、印象的な髑髏があらわれます。「現代への黙示・震災と原発」では、90歳を超していたにも関わらず、3・11の原発事故を、いち早く幾枚もの絵画に描き、告発しています。

 今年、富山さんは、民主化運動を描いた美術活動によって大韓民国国民褒章を受章し、6・10民主抗争34周年行事のなかで受け取ることになっていましたがコロナ禍で訪韓できませんでした。

 昨年5月、光州で「富山妙子」関連シンポジウムが開かれ、また現在ソウル市の延世大学博物館で、100歳回顧展「記憶の海へ――富山妙子の世界」が開かれています(2021年3月〜8月末)。『美術手帳』(2021・8)「女性たちの美術史」で6ページにわたって取りあげられた富山さんの画業を、1月ほど前に読んだところでした。

 富山妙子さんは、日本でもっともっと広く知られるべき画家です。(今年出版された拙著『追想美術館』では、冒頭の「美術館に行く 春・夏篇」の初めに、富山さんの展覧会について書きました。富山さんの訃報は、近影や作品とともに『ハンギョレ新聞日本語版』でも報じられています。)

書評『追想美術館』『ハンギョレ新聞』記事


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