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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕雨宮処凛『この国の不寛容の果てに』『ロスジェネのすべて』
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毎木曜掲載・第158回(2020/5/14)

エッジの効いた言葉がほとばしる

雨宮処凛編著『この国の不寛容の果てに−相模原事件と私たちの時代』(神戸金史・熊谷晋一郎・岩永直子・杉田俊介・森川すいめい・向谷地生良 大月書店)・『ロスジェネのすべて−格差、貧困、「戦争論」』(倉橋耕平・貴戸理恵・木下光生・松本哉 あけび書房)/評者:渡辺照子

 今年の春はコロナが世界を「席巻」している。感染リスクも恐ろしいが、さらに深刻なのは元々困窮状態にある者の生存権が脅かされることだ。住宅喪失者と称される「ネットカフェ難民」、感染リスク回避のためのリモートワークをさせてもらえない派遣労働者、コロナを理由に不当に解雇される非正規労働者等々。

 仕事や住まいを失う不安な時、直ちに頼りになるのは煩雑な手続きで埒のあかない役所より、常日頃、果敢に活動している貧困問題に取り組むNGOだ。その先進的な取り組み、献身的な姿勢には頭が下がる。

 三密が禁止され炊き出しが中止される中、そのような活動体主催の、ホームレスやギリギリの生活を強いられてきた人たちへの相談や炊き出しの場には雨宮処凛(写真)の姿がある。彼女は貧困を通して現代の本質をあぶり出す優れたライターであると共に、常に現場に身を置く活動家でもあるのだ。

 その彼女が昨年の9月、今年の2月と続けて対談本を出した。タイトルで明らかなようにそれぞれ障害者と就職氷河期世代の問題が語られている。対談相手には雨宮と同じくこの国の生きづらさを体感し、さらには分析し、解決をする当事者が名を連ねる。弱い者同士が互いを傷つけ合う状況の背後にあるものが対談で明らかになる。

 対談相手は既述したような共通点がありながら、実は多様な各分野の一人者であることが、対談の内容を面白くし、多角的な視点を提示してくれる。

 医療記者である岩永は「命を語る時こそ、ファクト重視」と提言する。元障害者ヘルパーの批評家、杉田は「さとり世代」を「弱肉強食の世界では文句を言っても仕方なく自助努力するしかないと実感するのだ」と分析する。ネット右翼研究の倉橋は、マジョリティの被害者意識を男性特権/日本人特権の喪失という観点から解き明かした。フェミニズムの視点からの生きづらさ等の研究者の貴戸は社会の寛容度の劣化を「自分だって苦しいのに同情されないマジョリティの痛み」だと喝破する。近世日本研究の研究者、木下は「日本特有の自己責任は江戸時代の農業による村の自治から由来する と解いた。東京、高円寺で「素人の乱」として新たなスタイルのデモを展開する松下は貧乏を楽しむ姿で登場する。

 当事者であるということは、その経験や思いも象徴的であり衝撃的であることになる。重度の自閉症の長男のいる新聞記者である神戸は、相模原事件の植松被告から「いつまで息子を生かしておくのか」と言われた。脳性麻痺の当事者である熊谷は相模原事件後、車椅子での通勤途上で見知らぬ人に突然殴られるのではないかという恐怖にかられた。

 個々の問題に直面し活動する者からはエッジの効いた言葉がほとばしる。現実の矛盾を直視せず、ショートカットで解決する「自分さえ我慢すれば」という発想が実は矛盾の増幅になりかねない「自己犠牲思考」だと示したのは森川だ。障害の枠を超えた「当事者研究」を発信する「べてるの家」の理事である向谷地は、精神疾患を抱えた人は他の人より敏感なアンテナを持つゆえに社会の空気を素直に取り込み、結果として生きづらさや病気になるのだ、として「当事者」から学ぶ姿勢を伝える。

 表層的に貧困を取り沙汰する昨今の言説とは異次元の、実に的確な言葉の数々は、優れた聞き手であり語り手の雨宮だからこそ紡ぎ出された。雨宮はロスジェネ世代の当事者であり、生きづらさと常に向き合ってきたそのライフストーリーとの響き合いが対談に深みを与えている。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。


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