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日曜日記75・岡田恵和の現代版「君が代」・落合恵子氏の勘違い

2019年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム

☆岡田恵和の現代版「君が代」

 9日の徳仁天皇即位を祝う「国民祭典」。嵐が歌った「奉祝曲」=「Ray of  Water」を作詞したのは脚本家の岡田恵和だった(作曲は菅野よう子)。聞くに堪えなかった。
 「君が笑えば世界は輝く 僕らのよろこびよ君に届け ごらんよ僕らは君のそばにいる 静かにつながって確かにつながって 大丈夫、君と笑ってゆく 大丈夫、君と歩いてゆこう」

  恋の歌だと思った人がいるかもしれないが(嵐が歌うのでなおさら)、そうではない。これは天皇を称える歌だ。「君」とは天皇のこと、「僕ら」とは「国民」のことだ。そう読み替えると、ぞっとする。「君が笑えば世界は輝く」「君と歩いてゆこう」!これほどの天皇賛美、天皇への忠臣があるだろうか。これはまさしく現代版「君が代」だ。(「Ray of  Water」の「Ray(光線)」とは「霊」か?)

 岡田恵和はNHK朝ドラの常連脚本家だ。沖縄の基地問題、沖縄戦の歴史などを一切捨象した「ちゅらさん」には当時から批判があった。が、けなげに生きるヒロインには好感がもてた。「ひよっこ」のヒロインもそうだった。しかし、その作家活動の根底にこうした強烈な皇国史観があったとは。これまでの作品も色あせてみえる。

 「奉祝曲」を作詞することはかなり前から決まっていただろう。その岡田は、ことし「秋の褒章」で「紫綬褒章」を受けた。天皇と「褒章・叙勲」の関係をまた見せつけられた。

 ☆落合恵子氏の勘違い

 「即位パレード」2日後の12日付沖縄タイムスに、作家・落合恵子氏の「両陛下へ」と題した「私信」なるものが掲載された。沖縄タイムスがつけた(落合氏の指定か?)見出しは<平和希求続ける「象徴」で>だ。

 この中で落合氏は、「パレード」が延期されたことを「「国民に寄り添う」を具体化した意思」だと称賛し、「お二人に願うことは、お言葉(「正殿の儀」の言葉―引用者)で繰り返された平和を、ずっと希求される「象徴」であっていただきたい」と結んでいる。「象徴の折々の思いを、もっともっと率直に主権者たる私たちに投げかけられる機会もおつくりください」とも述べている。

  落合氏は大きな思い違いをしているようだ。「パレード」の延期は、批判を考慮したからにすぎない。ほんとうに「国民」(被災者)に寄り添う気があるなら、パレードなど中止するはずだ。被災地の惨状・被災者の苦悩が10日もそれ以降も続いていることは周知の事実だ。

 言葉で「平和」を何度唱えても実を伴わねば空念仏にすぎない。もし徳仁がほんとうに「平和」を願うというなら、まず、その平和を踏みにじって知らん顔を通した祖父・裕仁の戦争・植民地支配責任を認めわびるべきだろう。

 「象徴の思い」とは何なのか。天皇が直接「国民」に意見表明することは憲法(第4条)に抵触する。落合氏には自明のことではないのか。そもそも落合氏は「象徴天皇」の存在を前提にして天皇皇后に進言しているが、主権在民、基本的人権尊重の現憲法下でなぜ「象徴天皇」なるものが必要なのか。

 「九条の会」として現憲法の平和・民主条項(原則)の擁護を目指しているなら、その原則に反する「象徴天皇制」自体を根本から問い直すべきではないのか。

 当ブログは前身の「私の沖縄日記」(第1回2012年11月26日)から通算して今回で1600回になります。このかん、多くの皆さまにお読みいただき、心から感謝いたします。これからも私なりにできることをやってゆく所存です。今後ともよろしくお願いいたします。


Created by sasaki. Last modified on 2019-11-17 20:07:35 Copyright: Default

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