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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』
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毎木曜掲載・第98回(2019/2/28)

新自由主義の凋落とポピュリズムの台頭

●シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(山本圭・塩田潤訳、明石書店、2019)/評者:菊池恵介

 近年、世界的にポピュリズムが台頭し、大きな波紋を呼んでいる。ハンガリーのオルバン、トルコのエルドアン、アメリカのトランプ、フィリピンのドゥテルテ、ブラジルのボルソナーロなど、首相や大統領に上り詰めた例だけでも、枚挙のいとまがない。一般にポピュリストという言葉で私たちがイメージするのは、これらの人物のように、移民や外国人の脅威を煽り、国境管理や治安維持の強化を叫ぶ大衆扇動家であろう。だが、金融危機後のヨーロッパでは、反緊縮を訴える左派勢力の中からもポピュリズムを自称する運動が出現している。スペインのポデモス、ギリシャのシリザ、ジャン=リュック・メランションの「服従しないフランス」などだ。ジェレミー・コービンのイギリス労働党なども、この潮流に位置付けることができるだろう。かつての共産主義に代わり、「左派ポピュリズム」という妖怪がヨーロッパに出現しているのである。それでは、なぜいま左派ポピュリズムなのか。また、排外主義を煽る右派ポピュリズムとは、どんな共通点と違いがあるのだろうか。

 本書によれば、近年のヨーロッパにおけるポピュリズムの台頭には、歴史的な必然性がある。それは、リーマンショック後の大混乱にもかかわらず、新自由主義に対する政治的オルタナティブが失われていることだ。かつてマーガレット・サッチャーは、新自由主義によるグローバル化以外に「選択肢はない」として福祉国家の解体を進めたが、その後、トニー・ブレアの新労働党やシュレーダーの社会民主党など、欧州の社会民主主義政党が次々にその教義を受け入れたことで、対抗軸が失われてしまった。リーマンショック後、「金融界との闘い」を掲げてフランス大統領選に出馬しながらも、当選後、ただちに緊縮計画を発表し、労働市場の規制緩和や大企業への減税などを進めたフランソワ・オランドの社会党政権は、その最たる例の一つである。

 また、政治的オルタナティブの喪失と並行して進展したのが、いわゆる「少数者支配化」のプロセスである。1980年代以降の度重なる構造改革を背景に、ヨーロッパの中間層は収縮を続け、国民の大半を占める大衆層の貧困化が進んだ。一方、エリートへの富の集中は、政治献金やシンクタンクの活動を通じて、新自由主義のヘゲモニーを一段と強化した。その結果、二大政党制のもとで大企業や株主本位の政治が常態化し、ますます階層格差・地域格差が拡大するという悪循環が繰り返された。昨年11月以来、フランス全土を揺るがしている「黄色いベスト」運動なども、大都市の周辺部や地方における中間層や底辺層の甚だしい困窮を踏まえなければ、到底理解することはできない。


*大阪で開催されたポデモスのチラシより

 こうした不平等への怒りは、当初、右派ポピュリスト政党の台頭として顕在化した。とりわけ1980年代半ば以降、フランスの国民戦線やオーストリア自由党のような排外主義政党が復活し、エリートに奪われた声を「人民」に取り戻すと称して選挙で躍進するようになった。これに対して、政治地図の左側からポピュリズムを自称する多様な運動が登場したのは、2010年代以降である。2008年にアメリカの住宅バブルが弾けると、欧州各国は巨額の公的資金を投入して金融機関の救済に当たった。その結果、公的債務が一挙に膨らむと、医療費や年金の削減など、厳しい緊縮政策が打ち出された。いわば巨額の税金によって金融機関が救済される一方、そのツケは国民に転嫁されたのである。こうして、2011年以降、緊縮政策の影響が人々の生活に深刻な影を落とし始めた時、欧州各地で大規模な抗議運動が広がり、新自由主義ヘゲモニーの崩壊が始まったのである。この新しい局面こそ、著者が「ポピュリスト・モーメント」と呼ぶ状況である。

 現在、ヨーロッパの多くの政党は、右派ポピュリズムの台頭を招いたみずからの責任を棚上げにしつつ、その支持層の無知や愚かさを非難することに明け暮れている。だが、このように「敵」を悪魔化する超党派の戦略は、「道徳的な慰めにはなるだろうが、政治的には無力である」と著者は主張する。なぜなら、右派ポピュリズムの支持層の多くは、「新自由主義グローバリズムの最大の敗者たちだからであり、新自由主義の枠内にとどまる限り、彼らの要求は満たされえないからである」。したがって、彼らを見下したり、糾弾するだけでは十分ではない。むしろ、不平等への彼らの怒りのうちに民主的な要求を読み取り、排外主義とは異なる回答を打ち出していく必要がある。

 それでは、左派ポピュリズムの戦略とはいかなるものか。本書が援用するエルネスト・ラクラウの定義によれば、「ポピュリズムとは、社会を二つの陣営に分断する政治的フロンティアを構築するとともに、権力者に対抗する敗者を動員する戦略である」。この意味では、左右のどちらのポピュリズムも「少数者支配」に対して「人民」を対置し、周縁化されている人々の要求をまとめ上げようとする。ただし、両者はまったく異なるビジョンのもとで、それを遂行する。「その違いは、《私たち》をどのように構成するか、そして対抗者、すなわち《彼ら》をいかに規定するかにかかっている」というのである。

 右派ポピュリズムは、「人民主権」の奪還を求めるが、その「主権」は本質化された国民や民族に限定され、移民や外国人など、ナショナル・アイデンティティへの脅威とみなされる集団を排除した形で構築される。これに対して、左派ポピュリズムは、「民主主義の深化と拡張のために、その回復を求める」。その際、最大の課題となるのが、労働者や移民、女性やLGBTなど、「人民」を構成する多様な集団の要求を「等価」なものと認めた上で、人々の間の水平的な連帯を作り出すことである。

 人々の多様な要求を一つに結びつける「等価性の連鎖」が、具体的にどのように達成されるのかは、本書を読んだだけでは今ひとつ判然としない。しかし、中道左派が新自由主義を受け入れ、対抗軸が消滅した真空地帯において、グローバリゼーションの敗者を「人民」に構築しようとする動きが出現する必然性は十分に納得できる。本書によれば、「これからの数年間は、右派ポピュリズムに対する左派ポピュリズムが政治的な対立軸の中心となる」。この新たな局面において、排外主義と闘えるかどうかは、過去30年の新自由主義が招いた「少数者支配」に対し、平等と社会正義の原則に根ざす、もう一つの「人民」を構築できるどうかにかかっていると考えられるのである。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。


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