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LNJ Logo 安倍政権がしがみつく「日韓基本条約」を問い直すとき
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〔福岡県TSより〕

 韓国人の徴用工に対する賠償を日本企業は行え、と命じた韓国最高裁の判決は日韓基本条約違反だ、と言う人々に言います。
 あなた達は、日韓基本条約がどのような経緯で締結されたのかご存知ですか?、と。

 「反日を叫ぶしか能がなかった」独裁者の李承晩大統領を韓国民衆が蜂起して打倒した1960年4月19日の「4・19革命」によって誕生した張勉政権を、1961年5月16日のクーデターによって潰し権力を握った軍事政権のパク・チョンヒ国家再建最高会議副議長(事実上の最高権力者だった)は、その二週間後の6月1日に日韓国交回復を急ぐことを外国記者団に発表しました。

 日韓国交回復交渉の最大の問題は、日本が韓国に支払う請求権の金額でした。
 これは1962年11月に訪日した金鐘泌韓国中央情報局(KCIA)部長と佐藤栄作政権の大平正芳外務相との間で「秘密メモ」が交わされ、決着がつきました。
 
 無償経済協力 3億ドル
 政府借款   2億ドル
 商業借款   1億ドル以上

 この秘密メモに基づいて、国交回復交渉が行われました。
 交渉の内容が明らかになった1964年春以降、韓国全土で激しい反対運動がおこなわれました。日本でも同様の反対運動が起こりました。
 政権打倒を叫ぶまでになった反対運動を、パク・チョンヒたち軍事政権は非常戒厳令を同年6月3日に発令して、武力で押さえ込みました。

 反対デモが続く1965年6月22日の東京で、日韓基本条約が締結されました。
 この条約で日韓国交回復がなされました。日本政府は韓国政府を朝鮮半島唯一の合法政府と認めました。朝鮮民主主義人民共和国の存在を否定しました。 
 この条約には、日本が植民地支配を謝罪する文言は入っていませんでした。
 条約批准に対しては日韓の国会とも紛糾しました。韓国国会は与党が単独で批准しました。
(資料は『マンガ韓国現代史』178ページ キム・ソンファン、 植村隆著 角川ソフィア文庫)

 日韓基本条約は、日米安保条約改定と同様に激しい反対を無視し、押さえつけたことによって締結されました。日本と韓国の民衆が納得しない内に、力付くで結ばれました。

 この条約によって、日本は朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)の存在を否定しました。DPRKは当然の事ながら猛反発しました。「米帝の傀儡である南朝鮮(韓国)と日帝が結んだ日韓基本条約なるものは、朝鮮民族の尊厳を踏みにじるものである。無効だ」としました。
 この条約はまた、日本とDPRKの国交回復の道を閉ざしました。DPRKという国家は存在しない、と日本政府はしたからです。これが現在に至るまでの日朝の不毛の対立の原因になりました。横田めぐみさんなどの日本人拉致被害の遠因になったと言えます。

 そして日韓基本条約は、日本と韓国を東アジアにおける冷戦体制に組み込む条約になりました。日韓双方とも強い不信感を抱きながら、西側の一員として、旧ソビエト、中国、DPRKなどの東側と対立することになりました。

 日韓基本条約は、今も冷戦体制の遺物として機能しています。これに安倍政権や日本政府、企業、多くの日本人がしがみついています。韓国も現代やサムスンなどの財閥、反共右翼の保守政治勢力が同様にしがみついています。

 日韓基本条約を問い直す時期が来ていると思います。


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