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毎木曜掲載・第40回(2018/1/18)

20世紀を代表する写真家

●『ロバート・キャパ写真集』(ICP ロバート・キャパ・アーカイブ編 岩波文庫)評者=志真秀弘
 ロバート・キャパ(本名エンドレ・フリードマン、1913〜54)の写真は、いまに通じる。20世紀の戦争をとらえた写真家として彼の名は忘れられることはない。そのキャパのネガ7万点余から236点を選んで、昨年12月、〈岩波文庫〉初めての写真集が発刊された。キャパの全貌を知ることのできる的確な編集である。

 講演するトロツキー、今も議論を呼ぶデビュー作「崩れ落ちる兵士」、ブレとボケが緊迫感をもたらすノルマンディー上陸などよく知られた写真は、ほぼもれなく収められ、加えてスペイン内戦、日中戦争(この時キャパは監督ヨリス・イヴェンスと中国現地で記錄映画を撮る)、そして第二次大戦のイギリス、北アフリカ、イタリア、ノルマンディー、パリ解放、さらに第一次中東戦争(1948年—49年)、第一次インドシナ戦争までのキャパ作品を通史的に知ることができる。それだけではない。ヘミングウエイ、スタインベック、ピカソ、あるいは、イングリット・バーグマンら友人たちの人柄と生き方まで浮かぶような写真がある。1954年毎日新聞社の招きで訪れた日本の写真も8枚収められている。このあと『ライフ』の要請でインドシナに向かい、5月25日地雷を踏んでキャパは亡くなった。彼の写真をみると、これらの戦争は過去の出来事ではない、いまのことだと強く思う。キャパの写真にはその力がある。

 キャパは、17歳で学生運動のためにハンガリーを追われベルリンへ。写真通信社の現像助手の仕事から写真の世界に。その頃、B・ブレヒトも通ったカール・コルシュの労働者学校に通う。20歳の時、ヒトラー政権の成立により、ユダヤ人の彼はパリへ逃れる。そこで、『毎日新聞』パリ特派員城戸又一や川添浩史、井上清壱らと知り合う。キャパは、かれらのアパートに泊まり、かれらのカメラを借りて写真を撮ったという。そして恋人ゲルダとともに共和国政府を支持し、内戦のスペインに向かう。

 キャパの戦場写真は、しかし、けしてセンセーショナルなものではない。

 国際旅団の解団式をとらえた2枚の写真がある(本書80〜83ページ/写真)。そこには、義勇兵の怒りと悲しみが鮮やかにとらえられている。瞬時に構図を考え、対象にのめりこまない理知的な面と、命がけで対象に近寄って撮影する緊張感とが彼の撮影には両立している。そしてどこまでも人民の側に立とうとする彼の人間性が写真にあふれている。

 キャパがブレッソンやシーモアと〈マグナム・フォト〉を創設したのは戦後だが、彼には組織者としての能力があった。ロバート・キャパという名前をゲルダと二人の共同の名前として当初使ったのも、ギャランティの問題だけではなく、撮影を共同作業と考えたからでもあろう。平等な関係で創作するセンスが彼には備わっていた。

 親友であったスタインベックは、こう書いている。
「彼は、動きと、明るさと、哀しみを、写すことが出来た―彼は、思想も写し得た。…彼は自分の周囲に若い人々を集めて、勇気づけ、教え、ときには、食事を恵み、着物を与えた。然し彼が教えた一番大切なものは、彼等の芸術を尊敬し、而も、その芸術を創り上げる一つ一つの過程─生活の全てを、疎かにしてはならない事を教えた…」(「キャパが遺したもの」『ちょっとピンぼけ』ロバート・キャパ、川添浩史・井上清壱訳、ダヴィット社より)。この追悼文は、キャパを語るもっともすぐれた文章の一つだろう。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。


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