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歴史教科書の用語削減は「暗記脱却」につながるか

ー『朝日』報道にミスリードの懸念ー

塚田正治(「教育産業」関係者)

   

『朝日新聞』朝刊に大学・高校教員らで作る研究会が歴史教科書に掲載される用語を半分程度に削る提言を行ったとの記事が掲載された。「我が郷土の『英雄』が教科書から消えるのは許せない」といった浅薄な批判は論外としても、記事は入試の現状を踏まえたものとは言えない。「善意」がないとは言えないが、「教育産業」に身を置く立場としてはミスリードの懸念を禁じ得ない。

 ●「提言」は本当に「暗記脱却」につながるか 

 記事が掲載されたのは11月14日付『朝日新聞』朝刊・社会面(38面。氏岡真弓編集委員・執筆。http://www.asahi.com/articles/DA3S13226347.html)。大学・高校教員らが作る高大連携歴史教育研究会(http://www.kodairen.u-ryukyu.ac.jp/)により、高校の歴史授業が大学入試の影響を受け「暗記中心」になっている傾向を脱却するため、歴史教科書に掲載される用語を半減するという提言(以下、「提言」)が行われたとの内容。

 削減される用語には「坂本龍馬」など「偉人」も含まれており、「地元」からの批判の声を伝える報道もある(https://www.youtube.com/watch?v=cd0bUKeiq1M)。しかし、歴史の授業は「郷土の『英雄』」を顕彰するためのものではなく、生徒の負担軽減の側面からも「提言」自体には一定の意義はあるものと思われる。

 しかし、「提言」は本当に「暗記脱却」につながるのだろうか。また、仮に実現したとすれば受験生の負担はどうなるのであろうか。言い換えればー一定の意義はあるとしてもーこの「提言」の意義はどの程度のものなのであろうか。

 記事はこれらの点に何ら触れていないが、日々、入試の現場にいる者としては疑問を持たざるを得ないというのが実情である。 

●「ルール無視」「生徒無視」ー大学入試の現状ー 

 上記の疑問の理由はいくつかあるが、スペースの都合上、ここでは現在の大学入試が教科書の範囲どころか、教科区分さえ無視していることを挙げておこう。現在の大学入試が大学間の「偏差値競争」によって難化が著しいこと、とりわけ受験生の多い日本史でその傾向が強いことは、拙稿(http://www.labornetjp.org/news/2017/0913tukada)でお伝えしているが、まず、その実態を象徴的に示す問題を見ていただこう。以下は、2005年度の慶応大学・経済学部の問題である(大問4・問い21。主要部だけ提示。ゴチック引用者)。

「(前略)1967年に結成された東南アジア諸国連合(ASEAN)の設立時の加盟国をすべて列挙しなさい。また、これらの国々をめぐる1990年代以降の経済統合の動きについて述べなさい。」

ゴチック部に明白なようにASEANの設立時の加盟国と90年代以降の動きについての知識を問う問題である。世界史や政経の問題なら分かるが、驚くべきはこれは日本史の問題なのである。実際、共学社出版の過去問集(いわゆる「赤本」)も「日本史の学習範囲を超えたかなりの難問」としており、同社の例答も日本との関わりはほとんどないものである。言うまでもなく、受験科目を「日本史」としている以上、受験生は現在の教科区分でいう「日本史」を勉強すれば合格できると思う。にもかかわらず他科目の内容を出題するのは「ルール無視」「生徒無視」と言うよりない。

 このように科目の枠を無視した出題はさすがに稀だが、教科書はもちろん、受験生の一般的な学習範囲を超えた出題は常態化し、しかも年々、増加している。実は98年の段階で予備校の河合塾がこのような出題傾向を含めた大学入試問題の「劣化」を問題視し、独自調査の上、実情と弊害を指摘している。特に慶応大学には公開質問状を送っており、教科区分の枠を超えた出題もすでに問題視している。これに対し大学側は高等学校の教育指導要領に準拠した出題をするよう努力すると回答しているのだが(丹羽健夫『悪問だらけの大学入試』集英社新書、2000年)、慶応・他大学とも出題傾向に改善は見られず、むしろ悪化している。つまり、90年代末の段階で従来、「偏差値教育」の象徴ともされた予備校から問題視されるほど、大学入試の問題は「劣化」していたが、何ら改善されないどころか、ますます悪化して今日に至っていると言える。

 実はこのような出題傾向は若干ではあるが『朝日』の当該記事にも触れられている。歴史教科書の用語の増加について

「大学入試で、教科書に載っていない、細かい史実を問う問題が出されると、その用語が次の改訂で教科書に掲載され、用語が増える傾向が続いてきた」

との研究会側の認識を伝えている。

 つまり、歴史教科書で用語が増えた過程は(1)大学入試で教科書にない用語が出題される→(2)その用語を教科書が掲載するという形になっているとされる。とすれば、本来、問題にすべきは(1)の方であろう。この点の改善なくして教科書の用語を削減しても、大学側がその範囲を超えて従来の用語数を維持すれば「暗記中心」の入試は変わらないし、さらに拡大していけば事態はますます悪化することになる。高校の授業も大きくは変わらないだろう。

 特に背景が「偏差値競争」の場合、この可能性は頗る高い。現状では「提言」が直ちに「暗記脱却」につながるかは、甚だ疑問なのである。 

●ミスリードが懸念される『朝日』報道ー受験生・保護者がすべきことー

  上記のような状況は『朝日』をはじめとする一般マスコミではまともに伝えられていない。そのため、入試問題に接した受験生からは一様に「こんな問題が出るんですか!?」「なんで、こんな問題を出すんですか!?」「どうやって解けって言うんですか!?」という驚きと怒りの声が上がる。現在、「受験うつ」が話題となっているが(ご存じない方は是非、ネットでご検索を)、彼らは「偏差値競争」による心の傷をさらに抉られていると見られる。中には「排外主義」に染まっていると見られる受験生もいるのだ。

 私が危惧するのは当該の『朝日』記事はこのような状況を助長する危険があるのではないかということだ。従来の報道同様、この記事も上記のような入試の現状については何ら触れておらず、一方で「提言」の内容は比較的大きく伝えている。そのため、一読した限りでは「提言」が実現すれば少なくとも暗記の負担は減るような印象を受ける。しかし、実際はそうではないとすれば、むしろ上記のような受験生の心の傷はさらに深まることになる。記者は受験生の負担軽減に寄与したいのかもしれないが、むしろ事態を悪化させてしまう危惧を禁じ得ない。

 『朝日』がするべきは、「提言」の前に、まず前記のような理不尽な入試の現状をきちんと伝えることであろう。マスコミが大々的に報道すれば、「ルール無視」「生徒無視」の現状が改善され、「提言」よりよっぽど暗記の負担軽減に寄与し得る可能性があるのだ。

 受験生・保護者はこのような自分たちにとって「核心」とも言うべき事実を伝えない報道を鵜呑みにせず、自分で実情を把握し対応策を講じる必要がある。現在の「偏差値競争」から受験生を守るには、ネットなどでの情報収集によるメディアリテラシー能力と早急な対応策が特に保護者に求められている。


Created by staff01. Last modified on 2017-11-21 11:34:58 Copyright: Default

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