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なくなったテントがはっきり見えた!〜脱原発9.11怒りのフェスティバル

    報告=笠原眞弓 写真=shinya

 雨模様の9月11日午後、私が行かないと雨になっちゃう(究極の晴れ女)と危機感を持って、それなのに15時の開始に遅れること1時間以上、テントひろばに到着すると、「アレ? テントってなくなったんじゃなかったのかな」と思えるほどのいつもと変わらないテントひろば!!! 飲み物も、さつま芋、じゃが芋、里芋の蒸かしたてを振るまっている。ホクホクでどれもおいしい。もちろんバッチや扇子などのグッズもある。

 そして、なんといってもいつもの人たちに加えて、いつもの福島など遠方からの人たちや友人・仲間たち、ここで顔見知りになった人たちがそろっていてうれしい。もちろん、初めてお会いする方たちも大勢いらっしゃる。経産省正門前の特設ステージでは、「制服向上委員会」のお姉さん橋本美香さんが、その透明な声を響かせて、反原発の歌を唄っている。

◆牛をかついでデモ行進

 そのうちプンムル仲間(韓国の民俗芸能)に促され、日比谷公園出発のデモに参加する。吉沢正巳さんのまさに怒りのほとばしるような、永遠に続くかと思われるアッピールを「時間です」という言葉が遮る。神輿に仕立てた吉沢さんの電飾の牛を先頭に、デモは経産省別館の前を通り一周する。その間、私服警察官の多かったこと。制服ばかりか、彼らまで「前に詰めろ」とかうるさいのには、辟易した。

◆テントはどこにでも建てられる

 正門前ではテントひろばの責任者の渕上太郎さんの挨拶がはじまる。東電は廃炉費用も自分たちで工面できなくなり、もう終わったと締めくくった。福島の武藤類子さんの、詩のような訴えが続く。私たちのテントは「闇討ちをして強制撤去しなければならない怖いものなのでしょう」と、指摘した。

 原発いらない福島の女たちの会の黒田節子さんは、事故後5年を経て作られたチェルノブイリ法を紹介し、いかに国家が責任を負っているか、それに比べわが国ではと、嘆く。鹿児島から「ストップ原発3.11鹿児島実行委員会」の川畑さんは11月にある川内市長選を三反園知事も支えて小田原氏で闘うと報告。3800万円の占拠代もみんなで出し合って支えようと提案された。

 沖縄からの大城悟さんは私たちへのエールと共に、辺野古は高裁判決後の国の出方に注目したい。地方自治を問われた民主主義の危機を乗り越えていきましょうと結んだ。スピーチは続き、テントひろばは第2の故郷と言い続けている亀屋さん、連日テント前に座っている斉藤美智子さん、第2テントを脱検発テント美術館にした映画監督の早川由美子さんは、今もテントを引き取り、全国でテント美術展をしようという。

 最後に高瀬晴久さんが、テントはなくなったけれどひろばはあった。そして、みんなの心が一つになった。「テントひろばは永遠だ」としめ、カンショ踊りがはじまった。

◆大好評だった「脱原発川柳瓦版」

 レイバーネット日本川柳班の「脱原発川柳瓦版」は大好評だった。私たちは、この集会に向けて「脱原発川柳瓦版」を作った。それは、仲間の一人、ドイツ在住のドイツ人・独狼さんがテント撤去のニュースにいち早く反応して短歌1首を送ってきた。「臆病の群れ真夜中に襲い来てテント潰しても心は生きる」というもの。それに呼応して笑い茸「潰しても心にテント廃炉まで」と続き、仲間が次々川柳をアップした。そこでそれをまとめて「瓦版」にして、みんなにも配ろうということになったのだ。差し出すとすべての方が受け取ってくださる。中には、催促の手までのびて瞬く間に手持ちがなくなるほどだった。薄暗い中で、さっそく読んでくださる方もいて、私たちの闘いのツールの一つとして、このような言葉のプロテストの効果を実感したしだいだ。


Created by staff01. Last modified on 2016-09-12 22:46:55 Copyright: Default

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