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「低み」に生きた村田久さんの遺稿集発刊〜北九州の住民運動60年の軌跡

民衆運動を地域から掘り進め、2年前、77歳で亡くなった福岡県水巻町の村田久さんの 遺稿集が発刊され、7月26日、北九州市小倉北区のステーションホテル小倉で偲ぶ会が開 かれた。

100人の参加者は、九州の地域問題を網羅した生きた記録『響きあう運動づくりを』(海 鳥社、A5判432ページ、3240円)を開きながら、村田さんの在りし日を語り、思い出を 今後の活動のエネルギーとしていた。

15歳で三菱化成黒崎工場(現三菱化学黒崎事業所)に入社し、「サークル村」に参加。同 工場での労災撲滅に奔走し、以後、九州住民闘争合宿▽指紋押捺制度撤廃▽強制連行の足 跡を若者とたどる旅▽ブキメラ村(マレーシア)での放射能公害被害者支援――と息つく 暇もなく運動の渦中にあった。いや、運動そのものが生活であったといえよう。「北九州 かわら版」の編集を途中から引き継ぎ、哲学者・花崎皋平さん(北海道小樽市)と「田を つくる」のニュースレターを出すなど、さまざまなミニコミを発刊していた事実に改めて 気づく。その一つ一つが、平易な文体で読む者に語りかけ、反公害、反基地、反原発運動 の総体として反戦の思いが共有されていく。「情報の交流を運動の交流へ」と願った村田 さんの自然体の熱情だ。

会の発起人であり、編集委員の8人が壇上に立つ。道場親信さん(東京都)は「巻末の略 年表が詳しいものとなって、一村田久さん個人を超えて北九州の市民運動、住民運動がど うだったかという足取りが分かる」と意義を語り、水溜真由美さん(札幌市)は「村田さ ん宅に2005年、初めて会って泊めてもらい、これが知りたいと言えば人を紹介してもらえ た」と、そのフィールドの深さに驚きと感謝を覚えつつも恩返しができないままの別れを 惜しんだ。そして梶原得三郎さん(大分県中津市)が「ガリ版を和子さんが切っていた。 そんな連れ合いに支えられて村田さんはさぞかし幸せだったろう」と紹介し、渡辺ひろ子 さん(福岡県築上町)も「和子さんと涙が出るほど腹を抱えて笑ったのは、村田さんの愛 唱歌が『君は心の妻だから』と知った時」と暴露して会場を沸かせた。また、原田さやか さん(同県みやこ町)は「闘いとは、こういうものなんだ。ただガンバローやシュプレヒ コールで終わってしまうのではなく、決して高みを目指さなかった」と述べた。それは、 どういう意味か。新木安利さん(同県椎田町)が言う。「村田さんは人間の低みを生きた 人。立身出世を目指す人が多いのに、そこにいてみんなのために社会をつくろうとした人 」。花崎さんもつけ加える。「一労働者であることに誇りを持って、むしろ武器として低 みに立つ運動を60年にわたって展開された数少ない方だ。死者が人々をつなぐ。たくさん の運動や関係を持った人が集まってつながったのは村田さんの力。僕たちの仕事もミニコ ミで人々をつなぐもので、学ぶべき、伝えるべき、大事な方法だと思う。ここで出会った つながりが生きていくよう、お互い関わり合いたい」と締めて拍手を浴びた。

会は、牟田口カオルさんのリコーダーや宮村みつおさんの三線演奏、森部聰子さんの朗読 、さらに20人のスピーチの後も横断幕を書いた85歳の岡添貞子さんの元気なあいさつまで あり、バラエティーに富んだ。

現在、非正規労働者の割合は36%に上る。不満があっても声を上げにくい職場環境だ。村 田さん夫妻が三菱化成で闘っていた時代はほぼ全員、正社員であり、簡単にクビを切れな い、切らせない労使関係があった。和子さんは「たくさんの人の出会いが力になった。一 人では何もできない」と振り返り、「絆って、いい言葉ですよね」と続けて、人とのつな がりの重要性を肌感覚で私に説いた。昔話にしてはいけない。「響きあう運動づくりを」 というタイトルの具体的実践が、今こそ必要なのではないかと感じさせる2時間半だった 。【林田英明】(『小倉タイムス』2014年8月11日号より転載)

《写真説明》壇上に立つ発起人のメンバー。右端が和子さん、手前に村田さんの遺影が見 える


Created by staff01. Last modified on 2014-08-16 01:16:52 Copyright: Default

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