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反戦を貫いたムーミンの作者 トーベ・ヤンソン

                    佐々木有美

 ムーミン・シリーズの作者トーベ・ヤンソンの生誕100年を記念する展覧会が横浜で開かれている。日本では1960年代末と1990年代にアニメシリーズが放映され、今では誰もが知る、愛と平和の象徴のようなムーミン。しかしこのムーミンの前史には、つらく厳しい日々があったことを、この展覧会で知った。トーベ・ヤンソンは1914年にフィンランドで生まれ2001年に亡くなっている。芸術家の両親のもと、自由な環境で育てられ、15歳から政治風刺雑誌「ガルム」(写真下)で挿絵を描き始めた。彼女は1930年代から戦後まで、同誌に数百点もの風刺画を寄せているという。

 フィンランドは1939年から44年までソ連と闘い、1944年にはドイツとの間にラップランド戦争が起こる。トーベは、その間スターリンやヒトラーの風刺画を実名で描き続けた。ある画には、幾人ものヒトラーが食べ物や家具や日常品のあれこれまで荷車などで運びさっていく風景が描かれている。ヒトラーは何とも卑屈なコソ泥に成り果てている。背中に鍵十字をつけた黒い顔の人間たちが、列をなして塔のような工場に入っていく画がある。彼らは工場の上から出てくるときには天使のような姿に変わっている。これはフィンランドの親ナチ勢力が、ドイツの敗戦を前に何の反省もなく変身したことを痛烈に皮肉った画だ。昨日まで戦争遂行に血道を上げていた日本人が敗戦を機に、にわか民主主義者になったという話を思い出させる。

 ムーミン童話の初期の作品には、子ども向けの話としては、かなり重たく恐い世界が展開している。「ムーミン谷の彗星」(1946年)は、巨大彗星の直撃で滅ぼされそうになるムーミン谷の住人たちが、洞窟に避難する話。世界の終わりに恐怖するムーミンたち。これはトーベが直に体験した戦争の恐怖そのものではないか。それでも彼女は、ファシズムと戦争に、鋭い批評精神で対峙し続けた。同じ危機の時代を生きる者として、その勇気と誠実を胸に刻みたい。

 展覧会には、トーベの油絵の自画像(写真上)が何点もあった。どれも意思の強そうな厳しい表情をしている。子どもの頃から、誰にも理解されないと悩み続けた彼女の姿は、孤高の輝きを放っていた。

(展覧会は、「横浜そごう」で11月30日まで、その後全国各地へ)    


Created by staff01. Last modified on 2014-11-16 01:16:34 Copyright: Default

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