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LNJ Logo 疲弊する市民のために献身的に働く市役所職員
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南相馬市ボランティア報告(4)

↑ 「ガンバレ!南相馬」の激励の垂れ幕が貼られた市役所ロビー

■ 市役所の「すぐやります課」窓口での体験

 東北の海岸線は大方津波の大きな被害を受けたが、1カ月過ぎた4月半ばには再建に向けて動き始めている。南相馬市の震災と津波での犠牲者は、死者437人、行方不明者1037名(4月16日現在、「朝日新聞」4/16)である。そのなかで福島原発周辺は今だに続く原発事故による放射能汚染の継続で半径30キロの避難区域や屋内退避区域は再建作業が手つかずに住民は不便で不安な避難生活を強いられている。そして、避難が何時まで続くのか分らず、精神的に疲弊させられている。そんな住民の生の声を聞いたのが、ボランティアとして応援に加わった市役所の「すぐやります課」窓口での体験であった。
 「すぐやります課」での仕事は被災証明書の発行がメインであった。被災証明書は南相馬市民のすべてに発行される。住民登録台帳を基礎に世帯主を基に家族ごとに発行される。学校、病院、銀行などの諸機関で相手側の要請に応じて提出する。同時にようやく始まる被災者支援金の給付の際に必要となる。すでに震災から1ヶ月以上が経つが、市民はまだ一切の経済的支援は受けていない。義援金の給付が決まり、15日に説明会が開かれた。 多くの市民が連日被災証明書の交付に詰めかけた。朝8時半から午後5時半まで休みなく市民が窓口に押しかけて、職員も臨時職員もわれわれボランティアもほとんと休む暇もなかった。県外から戻ってくる被災者が増えていることや、一時帰宅する市民も多くが市役所によって、現状を把握し、被災証明書を得てこれからに備えようとしている。1日平均300通の被災証明書が発行された。今後、国や東電から給付金や補償金の支給が予定されているから、市の発行する被災証明書は市民にとって重要な書類である。
 市民からの要望や問い合わせで2番目に多かったのは、緊急避難区域と計画的避難準備区域の対象となる区域と避難方法についてであった。しかし、4月11日の国(枝野官房長官)の発表は県や市町村など住民に直接対処する機関(自治体)と相談なく行われたので、市には何の方針もなく、その内容もいつ決まるとも答えられない。政府発表は市民の混乱と不安を拡大させるだけであった。住民の強制移転は家族の生活や酪農など農業に大きな負担と不安を強いる。このような発表に多くの市民は怒りをあらわに抗議した。
 お年寄りの被災者は避難場所に大きな不満と不安を持っている。お年寄りの体調や家族事情に合わせた避難所の提供は多くの困難をかかえている。職員たちは市民の不安や不満、要求を熱心に聞きながら、不便と苦痛に耐えるように懸命に相談者に説得していた。
 「すぐやります課」には多くの臨時職員が日々交代で働いていた。南相馬市3区のうち南部の小高区は20キロの避難区域で住民は避難し、役所や病院、学校、工場、商店も閉鎖されている。小高区の役所や病院の職員が市役所の臨時職員として働いている。かれらは避難生活をしながら、臨時職場で働いている。私が働いた時には正規職員とほぼ同数の臨時やボランティアなど応援者が働いていた。正規職員も震災以来、休みなく長時間の過密な労働を続け、大変疲労していると思わるが、全く疲れを表に見せなかった。また、われわれボランティアに対して親切で、優しく接してくれた。市役所職員が市民にために献身的に働いていることに感動した。

↑ 市役所「すぐやります課」で一緒にボランティアをした仲間:左から並木ルイさん、筆者、新井克己さん

↑ ボランティアセンターで開かれた朝のミーティング

↑ ホワイトボードに書かれたボランティアの仕事分担表

■ 全国から300名を超えるボランティア・若者たちの純真さと行動力に感動

 南相馬市の社会福祉協議会に設けられたボランティア・センターには多くの若者たちのエネルギーが満ちていた。20代、30代の男女を中心に10代の若者や60代の男女まで世代を超えたボランティアが全国から詰めかけ、登録人は300名を超えていた。大方自動車で県内、県外(九州、北海道からも)も駆けつけ、福祉会館の庭でテントを張ったり、車中泊で連日賑わっていた。
 私と一緒に市役所で働いた人は男3名、女性3名だ。女性たちは30歳前後で、そのひとり東京の看護師さんは東京からレンタカーを借りて駆けつけていた。他の2人の女性はやはり20代で福島県内からで、ひとりは週末を利用し、もうひとりは失業中で半月ばかり働く予定だと言う。
 ボランティアは10個くらい仕事別の「隊」にわかれた(写真参照)。毎朝8時半に福祉会館のボランティ本部に毎日100名くらいが集まり、自分が希望する隊で午後4時まで仕事をする。日によって仕事を変えることもできた。1日だけ働く人もいるが、長期に滞在する人もいた。ボランティア隊長の鴻巣将樹さんは3月下旬に来た災害ボランティアの「ベテラン」だ。彼は主に国内・海外のコミュニケーションを担当している。最初の4月13日のボランティアの総数は95名で、そのうち市内からのボランティアが42名、県内5名、県外48名だった。
 2つの避難所での炊き出し支援は、最近避難者自身が作業を担うようになり、支援の必要は減ってきている。物資カンパも増えて大方必要物資は揃ってきていると報告された。自宅待機者への物資配給や安否確認は順調に実施されているという。「おうち片付け隊」は壊れた住宅などを避難者の要請に応じて片付ける。その他、保育所の子供と遊んだり、学校に行けない小・中学生などに勉強を教えている。
 ボランティで3日間働いて考えたのは、外部からの支援が被災者を精神的に激励しているということだ。長期にわたる辛く不便な避難と先の見えない状態で肉体的にも精神的にも弱っている被災者である市民の前で彼らが必要とすることの一部でもすることで、決して自分たちが孤立していないことを知るだろう。したがって、今全国に拡がっている支援のキャンペーンや行動は、政治的、経済的な支援と同時に精神的な支援としても重要だ。 若者たちがボランティア活動に多数参加していることは、4月10日反原発デモの高円寺に若者を中心に15,000名の参加したことと同様に私たちの未来の希望を感じさせられた。
<写真と文・高幣真公>

↑ ボランティアセンターがある福祉会館の庭にテントが張られていた

*南相馬市でのボランティア活動の報告は一緒に行った石田伸子さんのブログに詳しい。 http://blog.goo.ne.jp/fukushima311
*南相馬市ボランティア・センター  http://ameblo.jp/minamisoma-svc/page-4.html#main


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