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LNJ Logo 吾妻タクシー争議、完全勝利のご報告と御礼
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支援の皆様

 全自交福島支部吾妻分会です。
 労働組合つぶし目的の偽装解散、組合員のみ選別全員解雇(非組合員全員雇用)が行われた、
福島県のタクシー会社「吾妻タクシー」労働争議は、2011年12月13日、福島地方裁判所において、
会社側が組合側和解案を全面的に受け入れる形で、和解成立、完全勝利し、闘争終結いたしました。

 2000年 退職金不払い
 2001年 賃金遅配
       会社役員による、組合敵視の不当労働行為の連続
 2007年3月 偽装解散、組合員24名のみ選別解雇

 問題は、1990年代後半に、会社役員に下田一族3代目が就任して以降、会社側による組合敵視が激化し、
2000年以降の、退職金不払い、賃金遅配となって具体化しはじめたことにはじまりました。
 下田穰一郎社長は、JRA福島馬主協会会長、日本馬主協会連合会会計担当理事、裏千家福島支部長、私立高校理事長等、
名誉職をもち、数億円の個人資産をかかえながら、タクシー乗務員の月10〜20万円程度の賃金を遅配し、退職金を不払いする
ことがまかりとおってきました。会社に楯突く者は、会社常務である下田豊氏が、権威をかさにいじめぬき、やめさせられ、
社員100名ほどの会社は、働き甲斐のない暗い会社となり、労働者どうしのあきらめ、疑心暗鬼、陰口、喧嘩がたえませんでした。
こうした状況にあっても、社長の個人資産は、商法の壁に保護され、手をつけられませんでした。

事前協議約款協定、社長個人の個人保証協定を2004年から準備していたことが、闘争勝利の鍵でした。

2007年の偽装解散、全員解雇の後、労働委員会を軸に戦ってきました。
県労委勝利集会の最中での、木村書記長の急死、60歳、年金1回だけもらっての死・・・という悲しみを乗り越えなければなりませんでした。
2008年5月に、組合側全面勝利の県労委命令を勝ち取りました。
地元のナショナルセンターをこえた幅広い労働組合からの支援、全国からの物資販売、カンパ、メッセージに支えられての勝利でした。
労働委員会補佐人には、全金本山労働組合・青柳充さん、全金南大阪港合同・大和田幸治さんにも加わっていただきました。

しかし会社は、中労委へ不服申し立てをしておきながら、同年8月に、会社を清算結了するという不当行為を行いました。
会社法は、商業の自由を確保するために、会社法人格の自由なイタズラを放任していますが、これらが労働者という人間に
与える打撃をまったく保障していません。労働者保護法制の不備は、労働組合の団結権思想で、突き上げ、具体的成果のなかから、
つくりあげていくものであると思います。

2009年、中労委は、(1)清算結了会社、(2)事業承継会社(別法人)の不当労働行為責任を認め、県労委命令を支持する
画期的命令を、公益委員15名全員合議による「重大事件」として会社に命じました。
http://www.mhlw.go.jp/churoi/houdou/futou/dl/shiryo-01-330.pdf

労働組合は、命令を武器に、命令不履行で居直る会社に対し、現場闘争を連日行いました。
清算結了登記をすませた、下田穰一郎社長は、商法の有限責任を盾にして、逃げ切る算段だったのでしょう。
人間対人間の闘いは、労働組合の争議行為のなかで、打ち破るしかないものと思いました。
2010年4月、承継会社のダミー社長であった、樋口泰章氏が、事業を放置し、経営を組合に譲渡して、逃亡。
組合側人格から会社自主運営をしながら、闘争継続をする困難な局面に入りました。会社経営は、それ自体大変なことであり、
労働組合の団結が正当に維持されなければ、一般的会社以上に簡単に、経営も団結も崩れるデリケートなものでありました。
しかし、労働組合員23名うち希望する全組合員(17名が再就労)の就労を勝ち取りました。

下田穰一郎社長は、商法の殻に閉じこもり続け、確定した中労委命令を不履行する、「日本ではじめて」の確信犯的労働犯罪者の道を
歩みましたが、現場闘争を続けました。
2010年8月、下田穰一郎氏個人に対する損害賠償請求訴訟を福島地裁に提訴。
2011年3月には、義友連合会会長(横浜市・右翼団体)から脅迫がありました。(昨日まで電話は続いています。)
決定的となったのは、2011年9月21日、六本木ヒルズで開催されたJRA日本馬主連合会企画予算委員会にあらわれた、
下田穰一郎氏をついにとらえ、団体交渉申し入れを当人につきつけたことだったと思います。
当日は、争議団体連絡協議会に所属する、東京中部労働者組合、全関東単一労働組合、三多摩合同労働組合、全金南大阪港合同の皆様の
ご支援があり、その成果でした。

状況は組合側和解案全面受け入れに傾きました。
年内和解にむけ急速に状況がうごき、2011年12月13日、裁判所において、和解が成立しました。

バックペイ、1億5000万円。訴額1億円余。に対し、吾妻自動車から和解金に相当するものとして、
9000万円相当の社長個人不動産による物納。(社長自宅以外の全不動産差出)の中身でした。

これで、吾妻争議の終結となります。
福島第一原子力発電所は、私たちのすみ働く、福島市、伊達市、伊達郡を、原子炉の釜のなかのような放射能汚染地帯にしました。
せっかく勝ち取った勝利に泥を塗る、東京電力を絶対に許すことはできません。私たちや家族は、毎日、不安のなかで生きています。
原発は一回事故をすると、その地域を、だいなしにしてしまいます。皆様の住む地域の原発は絶対に止めなければ、皆さん自身が後悔する
ことになることは福島が証明しています。

闘争勝利まで、皆様のご支援ありがというございました。
この勝利を、私たちの生活と、全国労働組合の団結権の発展に生かしていきたいと思います。

2011年12月13日
全自交福島支部吾妻分会
阿部利広






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