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LNJ Logo 無期囚・磯江洋一さんを孤立させてはならない
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投稿者: shaco
1972年、現闘委・釜共闘の闘いから37年、1975年、沖縄・嘉手納での船本洲治焼身決起から34年、そ
して1979年から30年が経た。
旭川刑務所に、無期囚として囚われている磯江洋一さん、そして彼と同時代を生きてきた者は、この
ように年月を数え、現在を確認する。
1972年−1975年の寄せ場の熱い闘いと終焉から4年、その闘いの再生を希い、1979年6月9日、磯江洋
一さんは、山谷労働者の怨嗟の的である「マンモス交番警官刺殺」<闘争>に決起した。そして、彼
の<決起>は、確かにその後の寄せ場の闘いに「日雇全協」を生み出す契機となった。
現在、寄せ場を取りまく状況と闘い方は、1979年当時と大きく変化している。しかし、人々の<生き
抜くための闘い>という本質に違いはないのではないか。これは、「寄せ場」にかぎらず、全国に広
がる膨大な<無産者>にとっても同じことといえよう。
密閉され、権力の意思が徹底的に貫徹されている<監獄>において、人間として生きようとするもの
にとっては、さらに過酷である。磯江洋一さんはその中で、すでに27年間生き抜いている。
誰一人孤立させてはならない。どんなに年月が経ようと、どんなに過酷な分断の中にあろうと、<仲
間>を孤立させてはならない。
磯江洋一 旭川刑務所在監 無期囚 【略歴/等】
1944年	    鳥取県生まれ
1963年      鳥取大学入学
1968年      大阪へ 
1970年	    沖縄全軍労スト支援デモで被逮捕
          山谷の集会に参加 東京日雇労組の書記長となる
1972年	     山谷現場闘争委員会結成
          6月、釜共闘の闘いに現闘委から派遣
1973年	     1971年の山谷労働センター占拠闘争の件で府中刑務所に服役
1975年6月25日  船本洲治 沖縄で焼身決起
1979年6月9日   磯江洋一 山谷マンモス交番警官刺殺
          山谷で「6.9闘争の会」結成
1982年7月    最高裁で「無期懲役」確定 旭川刑務所へ移管
          「厳正独居」処遇
1984年12月22日 佐藤満夫さん刺殺される
1986年1月13日  山岡強一さん射殺される
1987年12月   「厳正独居拘禁」に対し、国賠訴訟を提起
1995年10月    13年2ヶ月ぶりに「厳正独居」処遇を解かれ工場出役
2009年6月    1979年逮捕から獄中30年が経過
________________________________________

   《無期囚》磯江洋一さん
      山谷 6・9決起 30年
     ──問われ続ける、山谷・監獄・貧困…
●2009年6月6日(土) 午後2時〜
●日暮里区民事務所ひろば館(301洋室)
 (JR日暮里駅北口東側出口・徒歩10分)
●《第1部》午後2時〜
   『山谷─やられたらやりかえせ』上映(1時間50分)
●《第2部》午後4時30分〜  
 ・発題:6・9闘争と寄せ場の闘い(松沢哲成)
    :磯江さんを支えて30年(丸山康男)
    :6・9以降の山谷の闘い(荒木剛)
    :無期囚の終身刑化について(山際永三)
    :獄中の処遇、医療について(永井迅)
    :「貧困」とはなにか(加名義英逸)
    :山谷からの報告(山谷労働者会館)
    :他
 ・磯江さんからのメッセージ    
●《第3部》引き続き  
 ・討論(全員)     
●資料費/1000円
●連絡先:090-1836-3430(「山谷」制作上映委員会)



 

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