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攝津正です。

皆さん、

私がオーマイニュースに投稿した記事には賛否両論あるようですが、とにかく沈黙を 続けるのではなく、議論を提起したことには意味があると考えています。オーマイニ ュースのような市民メディアも天皇制のような制度の暗黙の支配力に無自覚なままだ とすれば、状況は絶望的だと思います。せめて自らの立ち位置を反省する契機になれ ば、と思っています。

それと、火曜日(22:00-23:00)に雨宮処凛さんと一緒にインターネットラジオに出 演します。テーマはプレカリアート(不安定層)についてです。以下にこの問題を考 えるための叩き台を作りましたので、ご興味のある方にはお読みいただければ幸いで す。

http://sapporo.cool.ne.jp/hommelets/preacariat.html
http://sapporo.cool.ne.jp/hommelets/precariat2.html

後者について、全文を以下に貼り付けます。

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☆ Dialogue on Preacariat

■今日は何について話すの?
▲「プレカリアート」について、だよ。
■「プレカリアート」って、何?
▲「不安定な」という意味のprecarityという言葉と「プロレタリアート」の合成語 らしいよ。最初落書きとして現れて、その後ユーロメーデーなどで使われるようにな ったと聞いている。
■具体的にはどういう人達のことなの?
▲フリーターやパート・アルバイト、派遣社員・契約社員など、非正規労働に従事し ている人達、或いは失業者なども入るだろうね。それに、政府の言う「フリーター」 の定義に入らない35歳以上の非正規労働者とか、最近ますます厳しい状況に晒されて いる自営業・農民・職人なども入るだろう。正社員だからといって、不安定じゃない とは限らない。正社員もリストラなどの不安に絶えず晒されている。過労死や過労自 殺も増えているしね。
■じゃあ、一部の特権層を除いて、広く労働者及び失業者を包括する概念なんだね。 かつてルンペン・プロレタリアートと言われていたような人達も入れば、狭義のプロ レタリアートには入らないと考えられていた中小自営とかも入る。
▲そうだね。
■その「プレカリアート」が問題だというのは、どういう状況でなのだろう?
▲現在、「新自由主義」と呼ばれる新たな段階の資本主義が世界を席捲しているのは 実感しているよね? グローバルに展開し、ほとんど全てを覆い尽くすかのような資 本の運動を通じて、〈労働〉の意味がラディカルに変容しつつあるんだ。
■もう少し説明すると?
▲高度な機械化やIT化が進むとともに、労働者が要らなくなっている、ということが ある。また、労働力の値段が高ければ、資本は、第三世界の国々に労働力を求めて移 動すればいいから、労働者が使い棄てられる傾向が強まってくる。資本家の集団=財 界は労働力を3つに分類し、差別し、分断している。つまり、(1) 一部の正社員、(2) 専門技能を持つ層、(3) 使い捨てのパート・アルバイトの3つだ。厖大な人達が、こ の三番目の分類に入ることになるわけだね。
■すが秀実さんが以前から指摘し続けているように、特に文系の大学・大学院がフリ ーター製造工場になっている、という実態もあるよね。文芸批評家の池田雄一さんも 言っていたけれど、学生が凄まじい勢いでフリーターになっていく、と。
▲その通り。〈労働〉の意味が変容すると共に、〈学生〉・〈大学〉の意味も変容し ているよ。すがさんが主張しているように、「大学解体」を資本主義が遂行してしま っているといった状況に近いね。まさに、すがさん達の本の題名じゃないけれど、 『ネオリベ化する公共圏』だ。
■「プレカリアート」が問題になってきた文脈で言えば、すが秀実さんの『Junkの逆 襲』やネグリ=ハートの『マルチチュード』、パオロ・ヴィルノの『マルチチュード の文法』、酒井隆史さんの『自由論』、渋谷望さんの『魂の労働』などといった一連 の著作は重要だろうか?
▲勿論だ。新たな〈階級〉、即ち社会的〈排除〉の対象である「アンダークラス」の 出現という事態を見る上で、かれらの書物は欠かせない。けれども、〈プレカリアー ト〉という言葉は、例えば〈マルチチュード〉とは違って、学問の言葉として生み出 されたものではなく、匿名の落書きから生まれたものだというのが面白いところだよ ね。
■つまり、最初から民衆の言葉だということだね。
▲その通り。だから〈プレカリアート〉というこの言葉は、科学的な精密化にはそぐ わない言葉でもある、と思うんだ。「不安定」というのを、統計的・実証的にどうや って定義するか、なんてやっていったら、全くのナンセンスになってしまう。それよ りも、私達が日々感じている不安や寄る辺なさといった具体的な感情から出発したほ うがいい、と思うんだ。
■私達の今日の会話も、少し抽象的に過ぎると感じるね。もう少し具体的に言うと、 どうなるだろうか?
▲例えば、私は、だめ連界隈のフリースペース・あかねのスタッフをやっている。そ こには、本当に沢山の、「精神病」者の人達が来るんだ。そしてかれらは、労働とい う問題にも直面している。例えば、会社員だったけれども鬱病で会社を辞めて、治療 した後復職しようとしたら、幾ら会社を受けても受からなくて、仕方なしにフリータ ーをやっているような40代の人などもいるよ。それに、作業所だって、時給100円の 世界なわけだしね…。さらにいえば、小泉「改革」によって、教育・医療・福祉が切 り捨てられ、弱者と言われる人達に打撃が及んでいる、といった事情もあるよ。障害 者自立支援法のことは言うまでもないよね?
■君が話した人もそうだけれど、今の日本社会では、一度正規雇用の枠から脱落して しまうと、もう元には戻れない、という、切実な不安や恐怖感があるよね。それが、 厖大な数の中高年の自殺者を生み出す背景にある、と思うんだ。
▲そうだね。経済的不安定は、ダイレクトに精神衛生を直撃する、と思うよ。だから、 ニートや引きこもり、「精神病」者など「生きづらい」人達も〈プレカリアート〉に 入ると思うんだ。
■『すごい生き方』という本を書いた雨宮処凛さんも〈プレカリアート〉という言葉 に注目して、精力的に取材を進めている、年末にはこの問題で本を出す予定だという ね。過労自殺の遺族などに積極的に話を聞いているそうだ。
▲それは興味深いね。生きづらいといった感性レベルでの表現が〈プレカリアート〉 といった時代の問題を反映する、というのは、注目すべき現象だと思うよ。
■『希望のニート』という本を書いたニュースタートの二神能基さんの発言を聞いて も、今、新たな人間性というか、新たなタイプの人間が生まれつつある、といった予 感がするよ。これまでの競争社会、能率至上主義社会に馴染めない、スローな主観性 が生まれつつあるんじゃないかな。
▲でも、感情というか心というか、主観性というか、その辺りの問題は本当に微妙だ よね。例えば近年では、フリーターなど小泉「改革」の最大の犠牲者であるはずの人 達が何故か右傾化して小泉・安部・石原などを熱狂的に支持するといった、「ネット 右翼」が目立つようになっているよね。
■例えばすがさんは、ジャンクのJはジャパンのJでもある、と言っている。つまり、 排除の対象であるアンダークラスが、自ら差別・排除されているにも関わらず、ナシ ョナリズム的なものに自己同一化して安定を図るといった傾向があるというんだ。
▲それは確かに現実問題としてあるよね。例えば、小泉自民党が大勝した「911選挙」 ではフリーター達が大挙して与党に投票した、と言われている。
■雨宮さんだって、以前はむしろ右翼にシンパシーを感じていたわけだよね。
▲左翼の言うことはわけがわからない、だけど右翼の人達の言説は生きる実感を与え てくれる、と。
■ドゥルーズの表現に倣って言えば、今私達が必要としているのは〈信仰〉じゃない かな。超越的な存在への信仰ではなく、〈この世界〉が在るということへの信仰とい うか、生きる実感への信仰というか…。シニシズムに陥らずに生を肯定していけるた めの糧のような何かが必要だと思う。左翼は、それを創り出すべきだと思うんだ。
▲日本で「プレカリアート」という言葉が初めて公になったのは、4月30日の、警察 権力に酷い弾圧を受けたフリーターのサウンドデモがきっかけだよね。デモとか表現 行為とかも、君の言う「〈この世界〉が在るということへの信仰」を生み出す手段じ ゃないだろうか? 事実、デモをやったからといって、即座に世界や社会が変わるわ けじゃないよね。むしろ変わるのは自分自身だ。
■その通りだ。デモをやるのは〈未来〉のためじゃなく、〈現在〉=〈今〉のためな んだ。表現行為の目的は、どこか外とか高いところなどにあるのではなく、今ここに あるんだ。
▲なぜ日本の警察が4月30日のサウンドデモを酷く弾圧したのか、ということには、 さまざまな分析があるけれども、すがさんなどは、日本がフランスのような事態にな るのを恐れての予防弾圧のようなものではなかったか、と言っているよね。つまり、 デモが伝播する、広がるのを、権力側は本当に恐怖していた。私達のデモは、本当に 小さいものでしかなかったにも関わらず、権力はその〈潜在性〉に恐怖し慄いたんだ。
■外国だったら暴動が起きても不思議ではないような劣悪な状況なのに、日本では暴 動が起きない、という意見に対して、だめ連のペペ長谷川さんは、日本でも暴動は起 きている、それは自殺だ、日本では暴力性・攻撃性は外に向かうのではなく内に、自 分自身に向かうのだ、という意味のことを言っている。それに、市田良彦さんも、日 本におけるマルチチュードの出現の徴候は、増え続ける自殺者にあるんじゃないか、 と発言している。だとしたら、そのような鬱屈したエネルギーが一挙に〈外〉に向け て炸裂したら、全く予想できないような状況が生じる可能性はあるよね。権力者とい うか支配層というか、そういう人達は、そのような可能性を恐怖したんだろうか?
▲そうかもしれないね。とにかく、鬱屈したり屈折したりしてはいても、物凄いエネ ルギーがあることは確かなんだ。だから問題は、そのエネルギーに政治的表現の回路 を与えることだ。
■つまり、新たな闘争を発明しなければならない、ということだね。
▲その通り。サウンドデモだって新たな形式の発明だったし、フラッシュモブとかい ろんなパーティなどのかたちで、遊戯と見分けがつかないかたちで、新たな闘争の萌 芽が沢山生まれつつあると思うよ。
■闘争とか遊戯とかいうのは、〈賃労働〉に還元されない、多種多様な〈自由活動〉 に属するものだよね。私達は、新たな働き方を模索するとともに、労働に還元できな い多様な活動を取り戻し、再発明していかなければならないんじゃないかな?
▲そう思うよ。渋谷さんの本に出てくる、アンダークラスのDJの話は印象的だよね…。 つまりかれは、既成の労働倫理=勤勉という道徳からすれば、〈働いていない〉、即 ち社会的な価値を生産していないかもしれないけれど、ものすごく一所懸命にDJスキ ルを磨いている、黙々と…。そういうあり方に注目していかなければいけないんじゃ ないかな。つまり、非資本主義的な価値の創出に関わる活動の意味といったことに。
■草の根の、〈地下の公共性〉を創出していくような諸活動に、私達の未来は賭けら れている、ということだろうか。
▲そうかもしれないね。とにかく、諦めないで実践と創造/想像を続けていくことし か、未来に繋がる道はなさそうだ。
■新たな連帯と協働を、ということになるだろうか。月並みだけれども…。
▲そうだね、共に頑張ろう!


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