小川町シネクラブの活動

小川町シネクラブは、その前身である「映画運動<試写室>」から数え上げれば すでに四半世紀以上がたっている。 映像といえば、常に制作者の側から一方的に問題 (メッセージ) が投げかけられるだけで、観る側はいつも受け手であり、消費者にすぎない。 そこには、観る側からの創造性は存在しない。 この両者の関係を打開するために小川町シネクラブを旗揚げし、 鑑賞する側からの映画運動を始めた。

小川町シネクラブのスタイルは、上映・解説・ディスカッションがその基本である。 実際ひとつの作品を素材にして参加者が相互に感想・意見、 自分ならこう作るといった具合いに、 ときには監督を呼んで来て、作り手とも相互に意見を闘わしている。

そのことによって観る側の観察力を高め、それは社会の動向についても 観察が鋭くなり批評する能力を身につけていく。

小川町シネクラブ・映像班

小川町シネクラブ・映像班は、小川町シネクラブに参加していた 国鉄の分割・民営化反対闘争に映像で連帯しようとする 数人から1985年に生まれた。 新宿保線区を描いた「抵抗」、国労が労使協調的執行部を排した 修善寺大会の記録「歯をくいしばって」、解雇撤回を目指す稚内闘争団の記録 「首切りニッポン」などを制作した。

こうした制作活動を飛躍的に発展させたのは、 「ドキュメント過労死」の完成であった。 過労死に対する労働災害認定基準の緩和を認めない政府・労働省の頑なな 対応を国際的な活動によって変えさせようとしていた過労死弁護団の 川人事務局長(当時)の話を聞き、「過労死」問題になんとか協力 できないかと制作を決意した。 であるから「ドキュメント過労死」は、当初から英語版の制作を予定し、 完成させた。 この作品は、内外のマスコミにも大きく取り上げられ、国内に止まらず 国際的にも大きく拡がった。 「ドキュメント過労死」英語版がサンフランシスコ国際フィルムフェスティバルで 招待上映され私も参加、そこで話もした。 この上映会の中心になっているサンフランシスコのケーブルテレビの 番組を制作している「レイバービデオプロダクション」のスティーブ・ゼルツァー ディレクターとの親交を深めたことはその後の映像班の国際的活動に 大いにプラスになった。海外の制作チームとの具体的ビデオの共同製作・ 情報交換などのメディア交流を実現させた。

世界で共通に労働基本権を剥奪している規制緩和の実体を暴露した ドキュメント「アルバイトスチュワーデス」は、 「レイバービデオプロダクション」との日米共同制作で95年6月に完成した。 この秋から年末に「95沖縄新たな闘いへ」と「われら民主労総」を完成させた。

「われら民主労総」の制作は、スティーブ・ゼルツァーディレクターが 紹介した韓国「レイバーニュースプロダクション」のキム・ミョンジュン チーフディレクターとの出会いであった。 「民主労組87-95」は、忘れつつあった労働組合のパワーをわれわれに 見せつけてくれた。 なんとしてもこのビデオを日本に拡げたいという私たちの気持がその日本語版として、 民主労総の十一月創立大会も追加して「われら民主労総」を完成した。 日韓連帯運動を担っている多くの人々の協力によって シナリオも制作した。

わたしたち小川町シネクラブ・映像班は、働くもの衣・食・住の すべてを基礎を作る労働現場と労働者・勤労人民の闘いを記録することに こだわり、激動する社会状況と絶えず切り結んだ映像活動を 常に国際的な視点ですすめていきたいと思う。


Created bystaff0 and Staff. Last modified on 2005-09-07 01:23:02


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