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2017/09/16 日朝関係から問う「明治150年」朝鮮社会から見た伊藤博文(新大久保駅)

日朝関係から問う「明治150年」朝鮮社会から見た伊藤博文 14時〜16時半、文化センターアリラン閲覧室(新大久保駅10分)。1000円。講師:小川原宏幸。文化センターアリラン(03-5272-5141)



2017年度連続講演会 日朝関係から問う「明治150年」

各回午後2時〜4時30分 会費1,000円です。

「明治150年」にあたる今年、日本では大々的に明治期の歴史を礼賛する雰囲気が醸成されつつあります。例えば、内閣官房は「明治150年関連施策推進室」を設け、そこでは「明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」ことが謳われています。「明治以降の歩み」とは、立憲政治・議会政治の導入、技術革新と産業化の推進、教育の充実などであり、「明治の精神」とは、和魂洋才の精神によって、単なる西洋の真似ではない、日本の良さや伝統を活かした技術や文化であるとしています。

このような「明治日本」を礼賛する政治的、社会的風潮は今にはじまったことではなく、司馬遼太郎の作品に代表される、幕末志士や明治の人々の「大国への坂を駆け上がろうとする」姿を英雄化し、日本がアジアで唯一の近代化への成功国である、という歴史像は今や社会に広く浸透しています。また、現在の天皇のみならず、明治以降の天皇に対しても、平和志向の卓越した指導者であったかのような認識が広く見られます。

しかし、こうした近代日本の歴史像は、アジアへの侵略戦争や朝鮮植民地支配の歴史をふまえたものになっていません。「明治日本」を礼賛すればするほど、アジアへの侵略思想と国内・帝国内の差別・抑圧のイデオロギー的根幹となった天皇制の問題は後方に隠され、朝鮮植民地支配の暴力を不可視化するか、あるいはそれを正当化する歴史修正主義的な主張に結びつく傾向があるのではないでしょうか。日朝関係の近代史をふりかえることで、改めて「明治150年」を真摯に歴史から学ぶことが必要であると私たちは考えます。

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