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第8話 人との関係は難しいの巻 新戸育郎

 (2008年5月4日掲載・連載の一覧はこちらへ。毎週日曜日更新)

《そりゃモグリだぜ》

 木曜日は金ヶ沢校での中1の英語。私が担当しているクラスの中ではいちばんまともというか、問いかければちゃんと反応が返ってきて、そううるさくもなければ静かすぎもしない。教える側の勝手をいわせてもらうといちばんやりやすいクラス。だから小4の国語がなくなってからはこのクラスが唯一楽しみなクラスになった。
 ところが1ヵ月たったある日、そのスクールの英語主任I先生が「ちょっと新戸先生、あとで少しお話したいことがありますので」という。
 ナニィ、またかぁ‥‥と嫌な気分。
 授業が終ってから顔を出すと、「なかなかお話する機会がないのでちょっと‥‥」と授業方針だの生徒への接し方だのと細々したことの説明、というか要請というか、もうちょっと正確にいえば強要というか。
 この先生、他のスクールの人とは違って、ともかく自分流のやり方で他の講師もやってくれないと安心できない人らしい。単語テストが何分、宿題の答え合わせを何分やって、それからきょうの単元のところを何分、とやたら細かい。それに、
 「授業報告は生徒の一人ひとりの状況を掴んでいただいて、できるだけ詳しく書いてください。そうしませんと親御さんがうちの子はどうでしょうかと言ってこられたときに対応ができませんので。それから時間前でもなるべく生徒と接していただいて個別に相談にのるなどお願いします。それから生徒のレベルに合わせて問題なども考えていただいてプリントを作成していただけませんか。それから‥‥」等々。
 大体最初の契約の時点で、派遣元(株)ゼニコでは「プリントなどは派遣先で全部準備するから自分で用意する必要は全くありません」といっていたくせにこれだ。このクラスだけを担当しているのならそのために全力を注げるが、なにしろこちらはまだいくつもクラスを受け持っている。生徒の名前を覚えるのがやっとのところへ、さらに個別の性格や能力や態度をきちんと見ろだと?
 もちやんできるならやりたい。英語は自分でいちばんやってみたかった授業だから、できるだけ頑張るつもりではいる。しかし当然限界もある。まして、いちいち小姑みたいにチクチクウジウジ言われると嫌気もさしてくる。
 うんざりしながら、言われた通りにとりあえず雑用をこなし、定時を30分ほどオーバーしてスクールを出たのであった。もちろんどれだけ遅くなろうが残業はつかない。

 と、何週か経ったある日、ゼニコのMから電話があった。
 「センセ、ご無沙汰しております。きょうのクラスもよろしくお願いします。センセ実はですね、木曜日の英語のクラス、申し訳ないんですが、向こうの専任の先生が担当できるということで、センセの授業、おしまいになっちゃうんです。ごめんなさいねセンセ。これ、クレームでも何でもなくて、向こうからそういってきたもので、大変申し訳ないんですけどセンセ‥‥」
 ちょっと唖然。色々と細かな注文を付けられて、修正の努力をし始めたばかりではないか。そしてやっと生徒一人ひとりの顔と名前が結びついて、時々個人的に話してみたり、授業が終ってから積極的に質問にくる生徒に教えたり、非常にうまく行き始めた矢先だったではないか。
 またしても突然の解任か。慣れたというわけではないがやれやれまたかという気分。だが今度は何が原因なのだろう。
 思い当たるのはもちろんひとつしかない。あのスクールの小姑みたいな英語主任だ。そこまで細かくいうのなら自分でやればいいんじゃないの、と私は内心思っていたが、結局はそういうことだったのだろう。
 しかし何度も同じことを思うのだが、この予備校、よくまぁいつもこうやって講師をコロコロ取り替えるもんだ。先発完投ではなく1イニングごとのリリーフばかり。これじゃ教育はできないなぁ、とあらためて思う。
 その英語教育に熱心なI先生に、あるとき「GDM(註)をご存知ですか?」と聞いてみた。と、涼しい顔で「知りません」と言下におっしゃった。むべなるかな。
 GDMを知らずに「英語教育をやってます」だって? そりゃモグリだぜ〜。

《明るい兆し?》

 2つある中2の国語のクラスのうち、前号で書いたように、Bのほうはなるべく軽いノリで接するように心がけて、やっと雰囲気が柔らかくなってきた。しかしもうひとつのAが依然かたくなな感じで心を開いてくれない。ここしばらく、その日になると気が重かった。
 少しやり方を変えようと思案していたが、ある人から聞いた経験談をヒントに、待ちの姿勢ではなく陽動作戦に出ることを考えてみた。とにかくシーンとして誰一人しゃべらず誰一人手をあげないクラスだから、おしゃべりさせてみようと、文法の問題を解くのにグループで相談しながらやるよう持ちかけたのだ。
 最初、失敗かなと思った。彼らは一人ひとり孤独に勉強して他人と競争することに慣れすぎているのか、なかなかグループでも相談しようとはしない。普段授業の前後にはぺちゃくちゃしゃべっているのにどうしてかと思ったが、おしゃべりは特定の友人とだけやっているみたいだ。特に女子と男子の組み合せになると、意識することもあってかおしゃべりとまではいかない。これが小学生のうるさいクラスだったら収拾のつかない混乱になるところだが。
 何度も、グループとしての意見はまとまったか?と促して、やっと答えを引き出した。期待したほどの活性化は無理だったが、しかしそれでも前よりずいぶん打ち解けた感じにはなった。一応成功である。
 そのあとの読解では、問題を解くに先だって「頭の柔軟さも必要だよ」という話をして、あるクイズを出した。読者のみなさんにもちょっと考えていただこう。
 ある日、少年とその父親がドライブをしていた。が交通事故を起こして車は大破。父親は即死し、少年は重傷ですぐに救急車で病院に運ばれた。
 手術室に担当の医師が入ってきて、手術台に横たわるその子を見た。そして顔色を変えて、震える声でこう言った。
 「私にはこの子の手術はとてもできない。だってこの子は私の息子だから‥‥」
 さてこの医師と少年との関係は?    みんな不思議そうな顔で考えていたが、このクラスとしてはきわめて珍しく、3人が手をあげ、そのうち1人が正解を出した。これで、クラスの雰囲気はとりあえずいい線まで回復した。やれやれである。

《君ら、友だちはいるのか?》

 で、そのクラスでの授業が終り、保護者宛の配布物がたくさんあったので、いちばん前に座っている2人の生徒に、手分けして配ってくれ、といった。配り始めた彼ら、すぐに困った顔で、「先生、誰が誰かわからないよ〜」。
 え、と一瞬思った。30人ほどのクラスだしもう何ヵ月も一緒に過ごしているのだから、当然みんな友達だろうと思っていた。そんなことはない、ほとんど特定の友人以外名前も知らないのだ。
 これはちょっとショックだった。教科書を忘れたという生徒に「隣の人に見せてもらえよ」といったとき、なぜかもじもじしているのを不思議に思ったが、それで理由がわかった。隣同士に座っていながら声をかけたこともないのだ(なかなか魅力的な異性もいるのに何ともったいない、と私は密かに思う)。
 個々の生徒がそれぞれ別々に先生とだけつながっているのが塾‥‥?

 こういうこともあった。別の教室の中1の国語。スクールに着いたら、担当の教師から「実は」と話しかけられた。「先生ご担当の中1のクラスの生徒に不幸がありまして‥‥」
 「これなんですが‥‥」と見せられたのが新聞記事のコピー。中1の生徒、小田急線の特急にはねられ即死、というもの。「ええっ!‥‥」
 “S中学のN君(13)、プラットフォームでサッカーをしていて、落ちたボールを拾うために線路に降り、ロマンスカーにはねられ、全身を強く打って即死した。サッカーチームのレギュラーで、試合にいく途中だった”
 「あの子ですか‥‥」と、何といっていいのか言葉が出ない。確かにあまり落ち着きのない子だったが、同じ悪ふざけでも教室内ならただの悪ふざけ。時と場所を間違えて、取り返しのつかないことになってしまったとは。
 「まだ他の生徒は知らないので、私が話します。新戸先生も何か彼らに声をかけてやってください」
 普段私語が多く、ざわつきがちだったそのクラスも、さすがにこの日はしんみりしていた。が、果してこのクラスでNと親しくしていた生徒はどれくらいいるだろうか。
 S中学では彼の机には花が活けられ、誰か涙を流した者がいたかもしれない。ここでは花も何もなく、生徒はいつも通り授業を受ける。人と人とのつながりはどうあるべきなのか。生徒同士は、そして新戸先生との関係は‥‥。

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【註】GDM:段階的直接法と訳される外国語教授法(第3回参照)


Created bystaff01. Created on 2008-05-05 15:29:52 / Last modified on 2008-05-05 15:44:13 Copyright: Default

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