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Document 20110603takasi
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第15回・皇族の被災地訪問と天皇巡幸

●さ お り◎震災と原発事故のドサクサにまぎれて、「コンピューター監視法案」とか、大阪府の「君が代・日の丸」の義務付け条令とか、名護市のキャンプ・シュワブではコンクリート壁の工事が進んでいるとか、なんかおかしいと思わない、オッチャン?

★オッチャン◇震災と原発事故にはまったく対処できない政治家が、治安維持や日米軍事同盟強化や排外主義政策ではおこたりないんだから、ほんとに憎たらしいね。

●さ お り◎内閣不信任決議案と菅首相の退陣騒動劇をみて、なさけない気持になったけど、そんな政治を許しちゃった責任はわたしたちにもあるのね。

★オッチャン◇そう、ドサクサにまぎれた差別の構造が、いま浮きぼりになっている。宮城県は、震災被害を受けた東北朝鮮初中級学校にたいして、補助金を「平成23年度は交付せず」と通知してきた。南相馬市の障害者施設の60人は、原発を逃れて避難所に着くと、福島県職員から「精神障害者は一般の人たちと別」といわれ、冷えこむ倉庫で夜を明かしたあと別の避難所を転々としたという。とくにひどい差別を受けているのは、福島第一原発の事故処理にあたっている下請け労働者たちだ。文字どおり必死の覚悟で働いている人たちが、宿舎でザコ寝をさせられている。なんで簡易ベッドくらい設置できないんだろう。

●さ お り◎差別より犯罪ね。オッチャン、皇室の人たちが被災地をめぐっているけど、どう思う。『週刊ポスト』は、「天皇『被災地巡幸』の御心」という記事で、皇室の被災地訪問は敗戦直後の昭和天皇の全国巡幸を彷彿させる、って書いてるの。

★オッチャン◇天皇巡幸をどうみるかの問題だと思う。1946年からはじまった昭和天皇の地方巡幸は54年に終わるけれど、沖縄にだけは行かなかった。

●さ お り◎どうして?

★オッチャン◇昭和天皇は沖縄を二度切りすてたんだ。最初は、沖縄を本土決戦のための捨て石とする作戦開始後に「犠牲をかえりみずに……全滅せよ」との「お言葉」によって。二度目は新憲法施行直後の47年、「沖縄の長期軍事占領を希望する」とのメッセージを米国に伝えることによって。でも、昭和天皇は72年に復帰した沖縄訪問に大きな熱意を示していた。これを「沖縄県民への責任感」などという人がいたが、そうじゃない。巡幸というのは、『万葉集』に舒明天皇が「国見をすれば……」と歌ったような、日本古来の「国見の思想」が大もとで、天皇の「しろしめす(ご統治になる)」地を確認するための視察旅行なんだ。昭和天皇が沖縄訪問を切望したのは、この旅が完結できていないことへの「心のこり」があったからで、それを沖縄への責任感の表れだなどと都合よく解釈されただけなのさ。

●さ お り◎いまの天皇はお年で病弱だから全国なんて無理ね……。そういえば、大地震の直後に、テレビ朝日が被災地の悲惨な状態を映している場面で、突然「天皇ご一家は皇居にてご無事」というテロップを流したのよ。えっと思っちゃった。一時間くらいでやめちゃったけど。

★オッチャン◇最悪だね。原発事故は日本の政治も経済も社会も崩壊させてしまうような危機をつくった。危機の時代には、国民統合と排外主義が、手を変え品を変え登場してくる。天皇は国民統合の切り札だから、病弱でも「国難」克服のために「巡幸」に引っぱりだされるかもしれないね。

【2011/06/03 通算19回目/転載・引用・援用など、すべて自由】


Created bystaff01. Created on 2011-06-03 13:48:13 / Last modified on 2011-06-03 13:50:24 Copyright: Default

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