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Document 20110115takasi
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第6回・菅さん、伊勢神宮参拝も憲法違反だよ!

●さ お り◎年明け4日に、菅首相が、園田幹事長、鹿野農相らと伊勢神宮に参拝したと報じていたけど、これって政教分離の原則に反するんじゃないかな?

★オッチャン◇いい質問ですね……。国の宗教活動を禁止している憲法20条違反だし、公務員の憲法尊重擁護を義務づけている99条にも違反している。仕事始めの1月4日に伊勢神宮に最初に行ったのは、ノーベル平和賞の佐藤栄作首相だった。1967年のこと。それ以来、自民党時代の首相と農相による、4日の伊勢神宮参りは慣行化されているらしい。

●さ お り◎ちょっと恥ずかしいけど告白するわ。うちも4日に友だちと近くの神社に初詣に行ってきたんや。

★オッチャン◇ふーん。彼氏ができるようにって、拝んできたんか?

●さ お り◎うちのことはええねん。とにかくすごい人出だった。次の日の新聞の初詣の記事を紹介するね。日本のIT企業に勤める金さんという27歳の中国出身の人の話。「和の精神かな。こんなふうにお参りの人たちがちゃんと行列に並ぶなんて、中国じゃ無理だよ」。初詣は宗教というより習俗なんだろうけど、戦前の皇居遥拝みたいに行儀がいいのも善し悪しだね。

★オッチャン◇そうだね。伊勢神宮は、「伊勢神宮と皇位は不可分」というのを政府に認めさせる「神宮の真姿顕現運動」という復古運動があるくらいに天皇制と深く関わっている神社なんだ。戦前の国家神道は天皇を崇拝する民間の運動に支えられていたが、戦後は民間団体となった神社・神職組織が国家神道運動の担い手になっている。

●さ お り◎でも、1946年元日の「天皇の人間宣言」によって、国家神道は解体したんじゃないの?

★オッチャン◇解体したのは国家と神社神道の結合であって、皇室神道は天皇の「私的行為」として温存された。1945年12月に連合軍総司令部(GHQ)が政教分離のために出した「神道指令」は、国家祭祀(さいし)の機関として特別な地位を与えられた神社神道という限られた範囲にしか適用されなかった。1947年2月には宗教団体「神社本庁」が、伊勢神宮を中心に全神社が結集するという基本構想に立って設立された。戦後も広い意味での国家神道は存続しているんだ。

●さ お り◎ふーん。皇室の存在そのものが、基本的人権や自由と平等の精神と相いれないとは思っていたけど、信教の自由も侵されているんだね。

★オッチャン◇ヨーロッパのブルジョア革命では、第三身分である市民階級にとって、キリスト教国家を、宗教と無縁な政治的国家に転化させることが、最重要の課題だった。しかし、日本のブルジョア革命である明治維新は、武士階級が主力だったこともあって不完全だった。だから維新革命は、宗教と身分制にたいする批判が非常に弱かった。明治維新は、国家神道を復古させ、天皇制絶対主義国家をつくり、アジア侵略へと突きすすんだ。「坂の上の雲」をめざした日本は、1910年に併合した朝鮮のプロテスタント長老教会に、伊勢神宮遥拝を強制したんだ。そして戦後、連合軍総司令部(GHQ)による民主化も冷戦のために不完全なものとなり、「御名御璽」を印され、象徴天皇制を冒頭に掲げた憲法が、1946年11月に公布される。

●さ お り◎話は変わるけど、身分制ゆうたら、会社組織のなかの正社員と非正規社員の差別も身分制といってもいいのかな?

★オッチャン◇そうだね。経営者が利潤のためにチープ・レーバーを求めるという面と、労働者を分断して支配するという両面があると思う。

●さ お り◎その両面に反対していかないとね。もちろん、国家神道にも、象徴天皇制にも。

【2011/01/15 通算10回目/転載・引用・援用など、すべて自由】


Created bystaff01. Created on 2011-01-16 13:32:09 / Last modified on 2011-01-16 13:34:51 Copyright: Default

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