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●木下昌明のWEB版・映画批評『蟻と兵隊』(2006年9月11日掲載)

二度見捨てられた兵士像

木下 昌明

月刊「東京」2006年8月号所収

 『蟻の兵隊』の主人公奥村和一は、病院でレントゲンを撮ってもらうと体内に砲弾の破片がいくつかみえるが、外見はどこでもみかけるような八〇歳の老人である。そのかれがほかの老人たちと国を相手に小さな裁判をたたかっている。カメラはこの奥村に寄りそいながらかれの抱えている問題をあぶり出していくのだが、これにわたしは驚きに似た感慨をもった。

 それは六十余年前にさかのぼる。奥村ら原告の老人たちは、日本が敗戦になり、ポツダム宣言を受諾したにもかかわらず、中国山西省の奥地でひそかに戦争をつづけていた。それも国民党の閻錫山ひきいる軍閥に加わって共産党の八路軍との内戦をたたかっていた。この話はほとんど歴史の領分に入るものだが、それが現在の問題として争われていたのだ。

 山西省での戦争といえば、わたしは、かつてそこを舞台にした田村泰次郎の『肉体の悪魔』や『蝗』などの戦争文学の傑作を想起する。田村は、戦後『肉体の門』で一世を風靡したが、わたしはかれの描く戦後風俗ものよりもこの戦争ものの方にずっとひかれた。それは、かれが一兵卒として一個の「肉体」しかないという戦場体験をふまえて、日本軍の加害行為など赤裸々に叙述していたからだ。それらに山西省一帯の地名がよく出てきたが、この映画でもそこらの地名が出てくるので行ったこともないのに妙に懐かしさを覚えた。また、最近の中国映画でも、若手監督の賈樟柯の『一瞬の夢』(一九九七年)、『プラットホーム』(〇〇年)、『青の稲妻』(〇二年)などは、山西省の地方都市を舞台にしていたので、画面でそれらの風物をみながら、戦争中、日本軍はこの辺りも占領していたのだろうかなどと推測したものだった。

 しかし、山西省で戦後になっても二六〇〇人の残留兵が四年間も戦争し、五五〇人の戦死者を出していたことは知らなかった。それも奥村によると、この残留は「皇国の復興」をはかる名目で、軍司令官の澄田 四郎中将が命令を下したという。ところがこれには裏があって、中将は、閻錫山と密約して、兵隊を国民党軍の「傭兵」にすることとひきかえに、自分は戦犯のがれのために帰国を許されたというもの。その中将は、日本の国会では、兵士たちは勝手に志願して残った旨のウソの証言をした。その結果、奥村ら残留兵が帰国しても「逃亡兵」扱いをうけて、軍人恩給などの戦後補償はうけられなかった。かれらは国に二度見捨てられたのだ。

 そこで奥村は、この不当な処遇を明らかにする証拠を探し求めて中国にわたり、山西省の公文書館や人民検察院を訪ねるとともに、かつて兵士として過ごした現地に赴き、自らかかわった日本軍の非道を聞きだしていく――ここらが映画の見どころとなっている。

 実はこの映画の監督、これまでNHKスペシャル『黄土の民はいま』や映画『延安の娘』(〇二年)のドキュメンタリーで知られる池谷薫で、かれは中国の辺境ものを得意としていた。そのかれが『延安の娘』の上映会の折、奥村と知り合ったという。(注1)

 延安といえば、奥村の戦地とはそう遠くなく、毛沢東が共産党の根拠地にしていたところだ。六〇年代後半、文化大革命によって紅衛兵となった多くの若者がその地に下放された。かれらはその後どうなったか――『延安の娘』はそこに光をあてていた。それは、これまでの中国映画が決してとらえようとしなかった中国現代史の隠された一面だった。映画は、一組の若者が生み捨てて、貧しい農民によって育てられた娘に照明をあてながら、あの世界をゆるがした壮大なメ革命運動ヤは何だったのかと問うていた。そしていまや、文革時代に表舞台で騒いでいた若者たちは、近代化のはざまにあって忘れられた存在となっていたこともわかった。これはちょっとした衝撃だった。わたしは歴史の非情を痛感した。(注2)

 奥村の場合、どんな心境でこれをみたか知るよしもないが、多分に青春時代を中国内陸部で過ごしたものとして、“第二の故郷”をみる思いで出かけたろうことは想像にかたくない。そこで、池谷とお互いの中国への思いを語り合い、池谷が奥村の戦争体験と裁判の経過を聞いて、次作に『蟻の兵隊』(奥村のセリフ)を撮ろうと思いたったのだろう。

 その『蟻の兵隊』にも印象に残るシーンがいくつも出てくる。その一つに二度靖国神社に出かける奥村のシーンがある。トップシーンで池谷が「お参りにきたのですか」と尋ねると、「お参りはしない。国にとられ、侵略戦争に出て死んだ人間は神ではありません。そういうごまかしは許されない」ときっぱり答えている。またラストの方で、八月一五日、三〇年ぶりにフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎元少尉が境内で演説し、それを聴衆にまじって奥村も聞いている。小野田は矍鑠としてにこやかに人々のサインにも応じている。そこへ奥村が「侵略戦争を美化するんですか」と声をかけると、小野田は聞き流して去ろうとするものの振り返って指を突きつけ、すさまじい形相で早口にまくしたてる。それは一瞬の出来事であったが、そこに元日本兵の尋常ならざる戦争への思いがのぞいてみえた。小野田の表情に、かれがボロの兵隊服をまとって敬礼している帰還時の映像がだぶった。「軍国主義」の亡霊は生きていた。

 奥村が中国に行ってからの映像では、かれが初年兵のとき、教育訓練として初めて銃剣で人を殺したという現地でのシーンが印象深かった。かれは小高い丘の中腹で、自らの体験をとつとつと語る。殺した相手は罪のない農民だったという。しかし、それが奥村の(観念的な)思い込みとわかった。そのとき生き残った父から聞いたという男の話では、事情が少し違っていた。殺されたのは、日本軍が雇っていた警備隊員だったというのだ。それも共産軍に砲台を破壊された罪での処刑だったと。奥村は、これまで罪悪感にさいなまれていた。それが自分の思いと食い違い、憮然となって、なぜかれらは農民に化けてでも逃げなかったのかと(関係のない)男に詰問したりする。どんな理由であれ奥村が殺したことに変わりがないのに、軍が罰として処刑の対象としたとわかって、逆に殺された側をせめる。そこに、いつのまにか反対の感情が生まれてくる。これには唖然とするが、奥村もあとで気づいて、自分のなかに、まだ軍隊で叩き込まれた精神が巣食っていると愕然とする。ここらに、中国で加害者としてふるまった元兵士の微妙な心の有り様をかいまみることができる。それはおかしくも哀しい光景だった。

 そういえば、奥村が中国にきた第一の目的は中将と閻錫山との密約を調査することだった。それなのに映画は、いつの間にか奥村ら元兵士たちの戦争加害を問う方向へと比重は移っていた。つまり、かれは軍や国との関係では被害者であり、それを告発する側に立っていたが、その旅のなかでいつしか自分たちの加害者性を自覚する側に立たされることとなったのだ。

 たとえば、同じ裁判でたたかっている「蟻」の一人金子傳元中尉は八五歳で、老妻の介護に追われ、本人も腰をまげてやっと歩く身である。かれが中国で戦犯として収容された折、自らしたためた戦争犯罪の告白書が人民検察院に残されていた。それは「鬼」と題したもので、奥村は読んで黙ってしまう。東京で金子に会った折、彼はそのコピーを渡すと金子はじっと読んでから、納得したように「こういうことがあった」とつぶやく。(注3)

 わたしが金子の手記で衝撃をうけたのは、道案内をした農民を三〇センチ大の大きな石をぶつけて殺したというくだり。それはかつて田村泰次郎の『裸女のいる隊列』という短編小説に、部隊の隊長が「西瓜ほどもある」石を老婆に投げつけて頭を打ち砕いたという描写があったが、それとそっくりだったからだ。田村の短編を読んだときは変質狂の隊長の特異な行動に思えたし、田村もそう思わせる描き方をしていたが、それが、「当時人を殺すことは茶飯事だった」と述懐する金子の言葉を聞いて、やはり「茶飯事」だったのだと考え直した。金子自身、「いまから考えるとゾーッとする」とくぼんだ眼を大きく見開いて驚いていた。かれらは軍や国の不条理な扱いに対して、自分たちを「蟻」と嘆いていたが、その卑小な蟻が他国民に対しては獰猛な「虎」としてふるまっていた。蟻の心をもちながら虎のように無慈悲なことを平然と行っていた。それを池谷は、大きな幼虫に群がる無数の蟻の映像で表し、「蟻」の残虐性として抉りだしてみせた。

 ともあれ、この映画での裁判は、最近公開された二つの靖国訴訟を描いたドキュメンタリー『出草之歌』(井上修撮影・監督)での台湾原住民(大阪高裁で敗訴)や『あんにょん・サヨナラ』(金兌鎰・加藤久美子の日韓共同製作)の韓国婦人のたたかい(東京地裁で敗訴)と同じく、日本の司法がいかに腐りきっているか読みとることができる。しかしである。いかに裁判で敗れつづけようと、それでたたかいが終わるわけではない。この映画のように自らの実態をドキュメントしたものを公開することで、多くの人々からの共感を呼び起こし、さらに自らを励まし、裁判という手段でしか訴えられなかったものが、それ以上の効果を発揮して、権力支配の不正を告発するものとなる。そこにドキュメンタリーの意義もある。『蟻の兵隊』の公開にあたっては大勢の人々がボランティアで「見る会」を立ち上げ、上映活動に協力しているという。そのこと一つとっても、戦争をしてはならないという奥村らの意志は、時代の潮流に抗いつつ多くの人々にひきつがれていこう。

この映画は、渋谷のシアター・イメージフォーラムで七月二二日からロードショー。

 

(注1)『延安の娘』について、わたしは『週刊金曜日』〇三年一一月七日号の映画欄で批評し、『映画がたたかうとき――壊れゆく〈現代〉を見すえて』(影書房刊)「? 変わりゆく中国社会」の章に収録した。また賈樟柯の映画評についても同じ章にある。田村泰次郎の戦争小説については『スクリーンの日本人』(同)「日本映画にみる『従軍慰安婦』」「兵隊はなぜ慰安所に行列したか?」でふれている。

(注2)いま公開中の張楊監督の『胡同のひまわり』に登場する主人公の父の生き方に、その世代の悲劇の一面がとらえられている。

(注3)中国で戦犯になった将兵が、なぜ自らの戦争犯罪を赤裸々に供述したかについては、『映画と記憶』(同)の「? 戦争表現の虚偽と真実」のなかの『日本鬼子』の批評で書いたので興味のある方は一読されたい。

(月刊「東京」は、東京自治問題研究所が発行している。木下昌明氏の「映画から見えてくる世界」を連載中。1部350円。TEL03-5976-2571 http://www.tokyo-jichiken.org


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